文化・芸術

愛媛大学が総合博物館の開設を準備中

大学が附属博物館を設置するのは近年の傾向ですが、愛媛大学でも総合博物館の開設準備が進んでいると愛媛新聞社が報じています。2009年11月にオープン予定とのこと。共通教育棟の一部にミュージアムが誕生するそうです。
愛媛大学は一般の人に研究内容や成果を知ってもらうため、松山市文京町の構内に総合博物館「愛媛大学ミュージアム」(館長・野倉嗣紀副学長)の開設準備を進めている。11月オープン予定。 学芸員は配置せず、各教員らが専門分野の展示を担当。博物館法で規定する博物館相当施設として文部科学省に申請する方針。同大によると、鉄筋3階建ての共通教育棟を、3月までに共同利用施設「愛大MUSE」に改修。1階の一部延べ1063平方メートルを同ミュージアムに充てる。 宇宙と地球の進化▽愛媛大学と愛媛の歴史▽生命の多様性▽人間の営み▽企画特別展―の5ゾーンに分け展示する。
愛媛新聞社ONLINE

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ニキ美術館、5月で閉館。

栃木のニキ美術館が5月で閉館すると、毎日新聞が報じています。移転して作品の公開を検討するということですが、、、
以下、引用。

黒岩有希館長は「那須での役割は十分果たした」と話しており、美術館側は今後、作品を移転して公開することを検討している。 94年にニキの作品だけを展示する世界で唯一の美術館としてオープン。創設者で、今年1月に亡くなった増田静江さんのコレクションを中心に、約200点を展示してきた。

毎日.jp

○ニキ美術館

http://www.niki-museum.jp/index.htm

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『エスクァイア』の休刊

『エスクァイア日本版』が休刊を発表した。ミュージアム特集も定期的に提供してくれていただけに残念。

『エスクァイア日本語版』休刊のおしらせ

昨今の不況の影響ということだが、「ハイクラスな生活へのあこがれを創出する」という宿命をもった雑誌メディアそのものにも限界が来ている?

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ロベール・ドアノー展と第3回ARGカフェ

2月21日(土)に第3回ARGカフェに参加するため、京都へ。

第3回ARGカフェの概要についてはこちら。

午前中は、会期終了が迫っていたロベール・ドアノー展を見る。
この展覧会は2006年の冬、パリで見逃したもの。
寒空の下、パリ市庁舎前には長蛇の列ができていた。
それだけパリジャンに愛されている写真家の1人である。
会場は空間的制約から、動線に苦しさが見えたが、
写真自体はやはり良かった。
なかでもディオールやランバン、クリスチャン・ラクロワなど、
いわゆる高級ブランドを写した写真が自分にとっては新鮮だった。
これはファッションデザインが身近になったことによる変化。

第3回ARGカフェの参加者のなかにも、やはりドアノー展に足を運んでから
参加した人もいて、懇親会ではその話題で盛り上がった。

もちろんARGカフェそのものからも多くの刺激を受けたことは言うまでもない。
ポータルサイトの運営に関わるものとして、NDL村上さんの発表は、
刺激的であったし、写真のアーカイブに関して同様の関心に取り組んで
いる研究者にも出会えた。なにより図書館の門外漢たる自分が様々な形で
図書館に関わる人たちと出会える貴重な機会となった。
それを可能にしているのが、「プレゼンの時間を短くして登壇者をふやし、
懇親会での酒の肴を数多く提供する」というARGカフェ&フェストの考え方だろう。
学ぶところが多く、また参加したい気持ちのよい会である。

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大阪ミュージアム構想&水都大阪2009

大阪府は、大阪府自体を博物館に見立てる「大阪ミュージアム構想」の推進事業費に1億5000万円を計上するとともに、民間からの寄付金の目標額を1億円に設定。
また、中之島で行われる「水都大阪2009」には、橋梁のライトアップなどに17億円、「御堂筋イルミネーション」の本格実施に2億円を計上。

毎日.JP

大阪ミュージアム構想、規模は大きいのかもしれないが、特に目新しくもなく。
「学芸員」(募集:300名)という肩書きを与えてブログを書かせよう、という例は
今までなかったように思う。夢はあるのだけど、今のところ名前負けという印象。
現状では投稿を一つ一つ検索することもできないようなので、
書く人&記事が増えてくると大変なことになる。

大阪ミュージアム


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山梨県立図書館の設計委託

毎日新聞が報じるところによると、2012年秋の開館を目指す山梨県立図書館の設計を担当するのは久米設計・三宅建築設計事務所の共同企業体(JV)ということだ。金額は約1億5000万円とされている。
久米設計・三宅建築設計事務所のプランは、ユニバーサルデザインや、完成後のランニングコストも含めた「ライフサイクルコスト」縮減の点で優れていたとのこと。

毎日.jp

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不況の影響で展覧会が中止に

Bunkamuraで行われる予定だった「JPモルガン・チェース・アート・コレクション50周年記念 20世紀モダン・アート展」(仮称)(予定:2009年9月12日(土)~2009年10月12日(月))が昨今の不況の影響で中止と決まる。コレクション母体で主催者のJPモルガンはアメリカの金融大手。

展覧会の紹介ページ

かわりの展覧会を行うのかどうか、行うとすれば何がくるのか、
いずれにしてもしばし動向を注目したいです。

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「人体の不思議展」で一悶着

青森県立美術館への巡回時にももめていた「人体の不思議」展。沖縄では展示の後援を県教委と那覇市が辞退するという事態になっているようだ。

沖縄タイムスによれば、共産党那覇市議団が3月20日から県立博物館・美術館で開催される「人体の不思議展」が本物の遺体を加工して展示するなど「人道上、医療倫理上問題がある」として教育長に後援を取り消すよう申し入れたとのこと。県教育委員会と那覇市は「後援辞退」を決めたそうです。

「子どもたちへの教育効果が本当にあるのかということを慎重に検討したい」との教育長の言が載っていますが、青森の入場者数を見ると展覧会としての人気は高いようです。

沖縄タイムス(リンク切れの際はご容赦ください)

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豊島の美術館、準備進む。

豊島(てしま)の現代アート美術館が来月着工する見込み。 直島福武美術館財団が地元に対して2009年1月25日に説明会を開いたとの記事が四国新聞社のウェブに掲載されていました。瀬戸内海の7つの島で計画されている「瀬戸内国際芸術祭」期間中(2010年10月)に開館する方針だそうです。美術館の建設予定地は、島北東部の唐櫃(からと)地区で床面積は約2400平方メートル。設計:西沢立衛。内藤礼の作品が展示される予定。 四国新聞社(アップから日が経つとリンク切れになることがあります)

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あいちトリエンナーレ、予算減で苦境

2008年の横浜トリエンナーレに始まり、2009年は越後妻有トリエンナーレ、神戸ビエンナーレ、2010年には「瀬戸内国際芸術祭」と続くが、もう一つ国際的芸術祭として企画されているのが「あいちトリエンナーレ」。そのあいちトリエンナーレが大幅な予算減のため苦境に立たされているとの記事が読売新聞のウェブ版にでていました。それによると「新年度に当初3億2000万円を計上していたが、査定によって1億9000万円まで削減され」たとのこと。それに対し、同トリエンナーレの芸術監督を務める国立国際美術館の館長・建畠哲氏が「芸術でこの地域を活性化したい」と講演会を行い、事業に理解を求めたようです。講演会の開催日は1月26日(月)でした。

ちなみに各政党の意見は次の通り。
自民、公明両県議団:規模などを検討した上で予定通り10年の実施
民主党県議団:延期

YOMIURI ONLINE(アップしてから時間が立つリンク切れになることがあります)

あいちトリエンナーレ2010

それにしても猫も杓子も「芸術祭」という感じの世の中ですが、
「次の一手」をどこが打ってくるのか、のほうが興味をそそられます。


 

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佐世保の新美術館の基本理念まとまるが協議継続

公募型プロポーザルにより丹青研究所を選出し、既存の島瀬美術センターとのすみ分けの整理や立地場所を含む基本構想案を検討・策定していた佐世保市が2009年1月29日、第3回目となる佐世保新美術館整備基本構想検討委員会(委員長・菊森淳文ながさき地域政策研究所調査研究部長、10人)会合を開き、「アートでつながり、広がるひとづくり・まちづくり」とする新美術館の基本理念をまとめ提出した。西日本新聞によると、市は全国巡回展を開催するには、新美術館の延べ床面積は最低でも4000‐5000平方メートルが必要とした上で「展示」「教育普及」「利用者サービス」など8項目の事業活動案を提示したとのこと。委員からは「抽象的で佐世保らしさが見えない」「すべてを実現するには、巨額の予算が必要で不可能」との意見が相次ぎ、継続協議することになったと報じられている。

ネタ元:西日本新聞

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ミレー館好調...山梨県立美術館

1月5日にオープンした山梨県立美術館の展示室「ミレー館」の来館者数が2009年2月1日で1万人を突破したという。08年1月の常設展の来館者数(約 4000人)の2倍以上の数。毎日.jpには、白石和己館長は「予想以上に順調な滑り出し。春の観光シーズンには、いっそうの来館者数を期待できる」との白石和己館長の談が載せられている。

毎日.jp

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「砂の美術館」が観光客増に貢献

鳥取市は「砂の美術館」の入場者数が32万人を越え、約55億円の経済効果が見込めると発表。うち約3000人に行った市のアンケートでは、約7割の2028人が県外から、ま約4割の1308人が「県内に宿泊した」と回答している。

市長の言「通過型観光から滞在型観光へ脱却するために大きな意義があった」。「砂の美術館を除く昨年の鳥取砂丘の入り込み客数は132万人だった。05年は131万人、06年は145万人、07年は138万人で、砂丘のみの観光客数はあまり変動がなく、砂の美術館が入り込み客増加に大きく貢献した。」

山陰中央新報が報じるところによる、同市の発表では「砂像制作費や管理費などを含む七千七百万円の事業費に対し、それを上回る八千六百七十万円の観覧料収入があった」という。市は今秋には第3期を開催する予定。

 

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高崎市美術館と一体運用を模索。高崎哲学堂を市に売却予定。

高崎市の「高崎哲学堂」が同市売却を申し入れる方針を決めたと読売新聞が報じている。市としても「隣接の市美術館と一体的な運用ができる」として取得に前向きとのこと。2月上旬に市議会に経過を報告し、了解が得られれば3月定例会に予算案を提出する。購入費は約2億。

記事によると、高崎哲学堂は「市民らから集まった寄付金約1億2000万円に金融機関からの借り入れ金を加えて、3億1000万円で落札」したそうだが、「約2億円の融資の利払い(年間約400万円)に追われ」、市と保全を前提に買い取りを陳情していたようだ。


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越後妻有アートトリエンナーレ出展作家、プレ映像を公開

2009年7月26日(日)〜9月13日(日)に開催される「越後妻有アートトリエンナーレ」の出展作家の一人である三田村龍伸さんが自身のHPで出展映像のトレーラーを公開しています。

三田村龍伸HP

 越後妻有アートトリエンナーレHP

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鑑賞カードセット...和歌山県立近代美術館

絵の中の「人」に焦点を当てた展覧会が和歌山県立近代美術館で開かれていますが、
同館では平成20年度文化庁・芸術拠点形成事業(ミュージアムタウン構想の推進)として、「児童生徒がこのコレクション展に親しみ、それぞれの感性を育み、想像力を豊かにできるような鑑賞教材」を制作、配布している。教材は2008年8月から12月まで近代美術館、和歌山県美育連盟、和歌山市美育協会、和歌山大学教育学部、NPO和歌山芸術文化支援協会、和歌山県立近代美術館図書ボランティアのメンバーが共同し作り上げたとされている。

鑑賞カードセットの概要
対象;主に小学校5年生、6年生
■A5サイズ13種類の鑑賞カード
■A5サイズ、24ページの解説冊子
■シールのシート
■上記を入れる紙製のフォルダー
制作部数:4,000部
先着順で無料配布

○和歌山県立近代美術館
www.bijyutu.wakayama-c.ed.jp/supporter/kyouzai2008.htm

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北斎のデジタル複製画を寄贈...長野県信濃美術館

長野県信濃美術館が最新のデジタル技術で複製した葛飾北斎の天井絵2点を本物の天井絵を有する小布施町の北斎館に贈ったと信濃毎日新聞が報じている。

今年は善光寺のご開帳もあります。長野近郊の美術館業界は活気がでそうですね。

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「子どもたちが映画監督になる日」を開催...せんだいメディアテーク

2月7日(土)、せんだいメディアテークで映像教育をテーマにしたトークセッションが開催されます。

____
クリエイティブ・カフェ仙台「子どもたちが映画監督になる日」

生まれながらにしてデジタルビデオとパソコンに囲まれた現代の子どもたちは、
大人たちの想像以上に映像に対して敏感、そして柔軟です。
子どもたちの感性や表現力を身近にあるメディアを使って育むことができるのか?
現場で奮闘するみなさんをゲストに迎え、映像を使った先進的な活動などについて語り合います。

ゲスト/
土肥悦子氏((有)シネモンド代表 金沢コミュニティシネマ幹事)
椋尾 倫己氏(flipmook)
横山 美喜子氏(トコトン実行委員会)

司会進行/小川 直人(せんだいメディアテーク )
日:2009年2月7日(土)
時間:14:00〜
会場:せんだいメディアテーク スタジオa+ラウンジ
入場方法:参加料無料
※要事前電話申し込み(1/8から)
先着順。定員になり次第締め切りとなります。
※定員 40名
問い合わせ:仙台市市民文化事業団事業課
TEL 022-301-7405(平日9:00〜17:00)

仙台市市民文化事業団HP

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ミナ・ペルホネンの制服...青森県立美術館

2009年1月から青森県立美術館のユニフォームがミナ・ペルホネンのデザインに一新された。ゆったりとしたワンピース型。

ミナ・ペルホネン、そういえば国立新美術館のB1にあるショップ「スーベニア・フロム・トーキョー」での展示を行ってましたね。このブランドの服たちがもっている雰囲気のように、やんわりふんわりの対応だと嬉しいですね。

青森県立美術館ブログ

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野外作品の破損...十和田市現代美術館

十和田市現代美術館に設置されているチェ・ジェンファの屋外作品《フラワー・ホース》が破壊されたとのこと。

○nikkansports.com
www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20090102-446178.html

○破壊された作品はこちらで確認できます。
www.city.towada.lg.jp/artstowada/artist/index.html

○十和田市現代美術館HP
www.city.towada.lg.jp/artstowada/index.html

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リソー教育、軽井沢に美術館建設予定

首都圏で個別指導の学習塾を経営するリソー教育会長が2010年、軽井沢町の矢ケ崎公園に美術館を建設し町に寄贈する、と信濃毎日新聞が報じている。 美術館の設計を複数業者によるコンペで決める意向。

不況、不況といわれている中でこうしたニュースは嬉しいです。

○信毎web(信濃毎日新聞)
www.shinmai.co.jp/news/20090121/KT090120SJI090009000022.htm

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次期館長は逢坂恵理子氏...横浜美術館

東京新聞TOKYOwebによると、横浜美術館の次期館長が森美術館のディレクター逢坂恵理子氏に決まったとのこと。就任は2009年4月。

○東京新聞TOKYOweb
www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20081230/CK2008123002000092.html?ref=rank

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新美術館の基本計画まとまる...秋田県

秋田県の新美術館基本計画策定委員会は15日の最終会合で、常設展示の完全入場無料化などの基本計画をまとめたと河北新報が報じている。同美術館計画では、安藤忠雄氏への設計依頼が策定委員会を無視して進められたため委員の間には不信感が拡がっていたとのこと。

○河北新報ニュース
www.kahoku.co.jp/news/2009/01/20090116t41004.htm

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開館時間を変更...岩手県立美術館

2009年4月から岩手県立美術館の開館を現行の午前10時から午後7時までを午前9時半から午後6時までに変更すると岩手日報が報じている。夕方以降の利用者が少ない一方、観光客や学校などから開館時間を早めるよう希望する声が出ていたとのこと。遅めの閉館は夜型には助かるのですが、7時閉館では確かに仕事帰りに行くには時間が足りないような気もします。

○岩手日報web news
www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20090122_11

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MOBILE ART...CAHNEL

シャネルのモバイル・アート。レアンドロ・エルリッヒと束芋が印象的であった。
設計はザハ・ハディット。


○表参道のシャネルもモバイル・アート仕様。
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H-BOX...横浜トリエンナーレ2008

シャネル、エルメスと高級メゾンがアートプロジェクトを展開した2008年。
残念ながら、昨今の不景気の影響でシャネルのモバイルアートは予定より早く終了となった。
写真は横浜トリエンナーレ2008でのエルメスのH-BOX。


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本の展示の仕方

東京国立博物館で行われていた特集陳列「世界への扉ー東京国立博物館の洋書コレクション」(10月28日(火)〜12月7日(日))での展示風景。本の展示の仕方が参考になりました。

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クリスマスのイベント

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展
国立西洋美術館

国立西洋美術館で行われていたヴィルヘルム・ハンマースホイ展を見に行った。
クリスマス前ということもあり、ツリーを飾り付ける企画が行われており、
賑わっていたようであった。
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特設ブログ「タネたちの今」...倉敷芸術科学大学

仕事がら卒展のサイトを見る機会が増えた。
また大学で運営するブログというものを考えさせられる機会も多い。
倉敷芸術科学大学の卒展サイトはよく出来ていると思うのだが、一点だけ気になる点があった。

○特設ブログ「タネたちの今」
http://maxa05.kusa.ac.jp/ge/blog/index.php?blogid=1
「タネ立ちの今」は倉敷芸術科学大学の卒展ページにリンクされている特設ブログという位置づけである。作品(と学生?)の観察日記風のスタイルで制作の様子を見せていこうという試みだったと思うが、卒展が始まった1月20日現在で、ブログのエントリー数は15。11月にアップされた後はほとんど動きが見られなかった。ブログは頻繁な更新を期待させるメディアだけにもう少しエントリーが欲しかった。
ブログの内容を卒展HPのトップページからも見ることができるように作られているのであれば、あえてブログとして独立させないほうがよかったのではないだろうか。

○倉敷芸術科学大学卒展
http://www.kusa.ac.jp/arts/ge/pc/index.html

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チャールズ・イームズ写真展

生誕100周年
チャールズ・イームズ写真展−偉大なるデザイナーのメッセージ
2008年5月20日〜6月8日
AXIS GALLERY(六本木)

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精悍な展示デザイン

イームズ夫妻といえば椅子が有名だが、彼らは写真や映像作品にも秀でていた。この展覧会では、デザインプロセスとしての写真を彼の引用句とともに紹介する。会場内につるされた写真パネルの裏にイームズの言葉が印刷されていて、来場者はパネルを裏と表から眺めることになる。壁際にはイームズの椅子が配され、ゆったりと腰掛けながら、しばしイームズの言葉に耽る。インスタントカメラの広告用に撮影されたイームズの映像作品とともに満足のいく時を過ごす。

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なお先着2500名に配布された6カ国語対訳の小冊子『チャールズ・イームズの100の名言』も入手。ヒンディー語も所収されているのが嬉しい。

8月8日にはイームズの映像作品集が発売となる。予約をお忘れなく。

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販売元:ジェネオン エンタテインメント

発売日:2008/08/08
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XXIc.−21世紀人

XXIc.−21世紀人
2008年3月30日〜7月6日
21_21 DESIGN SIGHT

「三宅一生ディレクション」を打ち出した展覧会。以前のWater展に比べれば、コンセプトが弱く作品の魅力も少ない。「21世紀人」とはなんなのか、それはさっぱりわからない。だたベン・ウィルソンの人が中に乗る形の一輪車の制作・試走映像は面白かった。どうやら自走ができないらしい。映像にはしっかり後ろから支えている人が写っていた。そこがまた良い。それ以外には、デュイ・セイド作のスティックマンの「影」が記憶に残っている。

21c.ー21世紀人 21c.ー21世紀人

販売元:楽天ブックス
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What’s Good Design 2008

What’s Good Design 2008
2008年5月15日〜6月11日
東京ミッドタウン・デザインハブ

印象の薄い展示

2008年度、「デザインの受け手」を意識して審査領域が変わる。その変更点と賞自体のPRのための展示。パネルではなく、デザインされたモノから審査領域の変更の理由が伝わってくるような内容だとよかった。それにしてもデザインハブはいついっても空虚な感じがする。

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機能追加のお知らせ

「ミュゼログ速報」:
美術館、鑑賞教育、ワークショップ、アート、ミュージアム、デザイン、の6つのキーワードに従って関連NEWSをGoogleから探してくるように変更しました。場所はサイト右側の一番上。表示は自動でかわりますが、お急ぎの方はそれぞれのキーワードを選択してください。

「アート&デザイン」:
展覧会やデザインに関する情報を扱っているポータル・サイトへのリンクです。隔月で更新予定。

「クリエイティブ・リソース」:
ウェブ上のアーカイブへのリンクです。展覧会・美術教育・デザインを考える上でなんらかの役に立つようなものを選んでいきます。隔月で更新予定。

「ミュージアム」:
これまで本文の下あたりにリンクを貼っていたものをサイドバーにまとめました。そのうちに教育普及事業に特徴のある館をまとめていく予定です。月一回程度の更新を予定。

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液晶絵画still/motion

液晶絵画still/motion
2008年4月29日〜6月15日
国立国際美術館(大阪)

Photo

「液晶絵画」、その言葉の響きにまず魅了されはしないだろうか。本展は、一言でいうと映像作品展である。しかし、液晶ディスプレイに映し出される静的な作品たちと向き合うと、なるほどあえて「液晶絵画」と括ってみたくなるのもうなずける。初めに結論からいってしまえば、展覧会の内容はなかなかに楽しめたほうである。出展作品も「液晶絵画」というコンセプトから大きく外れるものは少なかったので、この種のタイトルにありがちな「看板に偽りあり」という印象もなかった。

 会場に入るとまず、照明を落とした真っ暗な部屋が用意されている。視覚を瞬間的に奪われた後、部屋の中ほどにあるスクリーンで、ビル・ヴィオラの映像作品と引き合わせられるという趣向である。来館者を液晶絵画の世界に引き込むための秀逸な仕掛けとなっている。ビル・ヴィオラの映像作品≪プールの反映≫は今見ても刺激的だ。約30年も前に作られたとは思えない。とある森の中、濁った水たまり(タイトルからすればそれはプールなのだが)に裸の男が飛び込もうとしている。次の瞬間、男は飛び込むのだが、その身は空中で制止し、やがてゆるやかに風景(森)へと解消されていく。一方、水面には男が飛び込んだ痕跡らしき波紋が広がっていく・・・そんな作品である。

ビル・ヴィオラの暗闇を抜けると、私の目当ての作家であるサム・テイラー=ウッドの≪スティル・ライフ≫と≪リトル・デス≫が目に入った。何年か前、ロンドンのナショナル・ギャラリーでほぼ同じ構図の静物画の隣にモニターを設置し、テイラー=ウッドの作品と見比べられるような展示企画に出会ったのが、私がテイラー=ウッドの作品に関心を抱いたきっかけだった。静物画として時間から切り出されたはずの事物たちに今一度時の流れを与えたかのような作品、その衝撃は今でも鮮やかに覚えている。ただ、画面に定着された「本来」の静物画が側にないと面白さは伝わり難いだろう。映像作品がなぜその形で映されなければならなかったのかは映像を見ているだけではわからない。パネルを用いてテイラー=ウッドのひな型となった静物画を説明するなど対応があればよかった。

ブライアン・イーノの作品は、作品それ自体というよりも展示されている空間の雰囲気がよかった。むろん、その雰囲気は作品によって作り上げられているのだが。部屋の一面に掲げられた縦長の4枚の液晶ディスプレイのうち、外側2枚は風景を、中2枚はゆるやかに像が変形していく女性が映し出されて、穏やかな土地の教会にいるような気分である。凝視してみるというよりは環境映像の類であり、そこでコーヒーでも飲みながらゆっくり読書でもするのが相応しい。このように環境映像として部屋に置いておけそうなものとしては、他に千住博の作品があった。映像で構成された水墨画といおうか、遠目には枯淡の味わいを感じさせる。

 本展の出展作品の中では、森村泰昌の作品が、面白さ、展示形態において突出していた。フェルメールの作品≪窓辺で手紙を読む若い女≫と≪真珠の耳飾りの少女≫を一つの映像としてつなぎ合わせたかのような作品≪フェルメール研究≫(正確にいえば、耳飾りの少女に扮した森村が書物を読んでいるところから、こちらを振り返って例の構図に到るという映像)。一方、フェルメールの≪絵画芸術≫の世界を再構成した作品は、森村の手法を知らずに見た人にはいまいち面白さが伝わらないだろう。解説過剰でも困るが、本展は全般的に解説が不足していたように思う。また、たまたま切らしていたのかもしれないが、多少解説も載っている出品リストがモノクロコピーだったというのも国立美術館としては残念である。

追記:
この展覧会において液晶絵画を成立させている液晶ディスプレイはシャープのアクオスでした。千住博の作品などはアクオスの黒い筐体が額縁のように見えてくるから不思議です。

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図書館特集:『近代建築』4月号02

図書館特集:『近代建築』4月号02

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 前回に引き続き、『近代建築』4月号が勉強になったという話です。今回は長崎市立図書館運営統括責任者、小川俊彦氏の稿「管理者として見た望ましい図書館建築」について。小川氏は建物の大きさはどのように決めるべきか、使いやすい図書館とはどんなものか、運営する上で建設計画から気をつけるべきことはなにか、をわかりやすく語っておられますが、「使いやすい図書館」について書かれた箇所が図書館に限らず広く文化施設に当てはまる内容でしたので紹介したいと思います。

「座れる、しゃべれる、読書が楽しめるという空間が用意できれば、それも街中にあり、中で利用している人たちが見える図書館であったりすれば、そこは間違いなく集合場所になり、待ち合わせの場所になってくる。本があるところ、情報のあるところ、が図書館であるが、同じように人が集まってくるところ、が図書館でなくてはいけない。」

 これを読んだとき、私の頭をすぐさまよぎったのは金沢21世紀美術館でした。SANAAが作り出した総ガラス壁の開放的な空間は、まさに小川氏のいう図書館像と合致するものでしょう。彼はさらに、建物の外観だけでなく内部においても「開放感」が肝要と考えています。

「図書館に一歩入ったとき、館内が見渡せるというのは、利用者に安心感を与えてくれるのである。先が見えない、働いている職員も見えないでは、入ってよいものか、勝手に歩き回ってよいのか、どこに何があるのかがわからなかったなら、少し気の弱い人、子供やお年寄りなども図書館は近づきにくいものになってしまう。」

 そのため「気軽にものを尋ねられる職員を配置する必要がある」とのこと。そういえば、前回の植松氏の頁にスウェーデン、マルメ市立図書館のインフォメーション・デスクの様子を映した写真がのっていましたっけ。説明によると「職員が立って待機していることで声をかけやすく、利用者と職員が横に並んでパソコンをみられる」とあります。なるほどインフォメーション・デスクも「開かれた」形状をしていて、よくあるカウンターのように、こちら側とあちら側を隔ててはいないのが印象的です。
 少し脱線してしまいましたが、小川氏の考える「使いやすい図書館」とは要するに「親しみやすい図書館」とほぼ同義といっても差し支えなさそうです。書架の高さは1段30センチとして5段までが望ましいというのも、それなら小柄な人でも手が届き、目の悪い人でも書名が読み取れる高さということ。理にかなっています。ちなみに児童の書架は絵本なら3段、読み物なら4段とする図書館が多いそうです。
 この記事を読んで最後に気になったのは、美術館のいわゆる「美術図書室」はどうだろうかということでした。利用者にとって「親しみやすい」空間を提供できているでしょうか。

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図書館特集:『近代建築』4月号01

図書館特集:『近代建築』4月号01

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いまさらな話題ですが、近代建築社が発行する雑誌『近代建築』の4月号で図書館特集が組まれています。建築雑誌なので建物の写真がメインですが、筑波大学付属図書館長植松貞夫の「これからの図書館像とそれを実現する図書館建築」という記事が勉強になりました。

 植松氏は、図書館は現在、紙媒体とデジタルコンテンツ双方を提供する「ハイブリッド・ライブラリー」の状態にあり、その状態は今後も長く続くと予想していますが、「ハイブリッド・ライブラリー」という現状において、利用者は目的の資料・情報を探す際、印刷物には目録、デジタル・コンテンツにはメタデータ、そしてネットワーク上のものは検索エンジン、とそれぞれ使い分けなければならない不便があり、資源リンキングシステムを組み込んだ図書館ポータルの開発が急務であると主張しています。

 また植松氏は大学図書館の2大機能である教育と研究支援のうち、研究支援に関わるものは非来館型のサービスへと既に移行しており、図書館サービスの場である建築は、学部学生への教育支援を目的にすべきと捉えています。考えてみれば、私達が論文を探す際にはもっぱらウェブ上の検索サービス(GeNii等)が主流になっていますし、専門化すればするほど図書館の蔵書では対応しきれないものが多くあります。その意味で「場所」としての大学図書館における研究支援は、各学科の基礎となる重要文献を押さえる程度(すなわち教育支援)へと緩やかに移行していくのかもしれません。

もう一点なるほどと感じたのは、大学の地域社会への貢献が不可避となった今日、大学図書館は何をするべきかという点です。一つは学外者の利用を念頭においた館内サインの充実であり、もう一つは館内セキュリティへの配慮。どちらもこれまでの大学図書館が見逃してきて部分ではないでしょうか。社会に開かれた大学が求められている以上、その主要な窓口となる図書館の館内サインもしっかりとデザインし、使い勝手を高めておく必要があるのだろうと感じます。


ちなみに植松氏が館長を務める筑波大学付属図書館は、3月に大学図書館としては初めてスターバックスを導入し話題をよびました。この論考でも「カフェや作品発表の場を設けるなど特段の目的をもたなくても来館したくなるような雰囲気をもつ必要がある」と主張しておられます。

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佐藤可士和のウェブアーカイブ

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広告あるいはコミュニケーション・ツールとしてのウェブアーカイブ


 大阪芸術大学が主催するデザインフォーラムmovement2008に参加したのだが、ゲストの一人、超人気アートディレクターの佐藤可士和の講演が印象に残った。正直なところ、彼の講演内容は「アートディレクターの新領域」という多摩美術大学が公開するポッドキャストでほとんどフォローできるもので、既にそのポッドキャストを視聴している私にとってはとりわけ目新しいものではなかった。では何が印象に残ったかというと、講演時に提示された彼個人のHPのデザインとその使い方である。今回、彼はHPだけを使って話をしたが、そのHPは明快に整理されたウェブアーカイブであり、佐藤にとって極めて使いやすい広報ツールとなっているようだった。彼のあらゆる仕事が「色」を基準に超整理された状態で一般公開されているこのHPは、まさに「広告としてのアーカイブ」「コミュニケーション・ツールとしてのアーカイブ」である。そのウェブデザインはユニクロのグローバル戦略でチームを組んだ中村勇吾の手によるものだが、アートディレクションは佐藤自身だそうだ。
 おそらく佐藤はどこに講演にいってもネット環境さえあれば、自分の仕事をオーディエンスに明快に提示できる。講演のためにパワーポイントやキーノートをわざわざ準備する必要ももはやなさそうだ。これほど利便性に富んだアーカイブは見たことがない。よく出来たアーカイブはそれだけでコミュニケーション・ツールとして力を発揮するということを改めて考えさせられた。・・・それにしても『佐藤可士和の超整理術』という書籍を出しているだけあって、徹底して整理された感のあるHPであった。

佐藤可士和のHP kashiwasato.com

佐藤可士和の超整理術佐藤可士和の超整理術

著者:佐藤 可士和
販売元:日本経済新聞出版社
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プロフェッショナル 仕事の流儀 アートディレクター 佐藤可士和の仕事 ヒットデザインはこうして生まれるプロフェッショナル 仕事の流儀 アートディレクター 佐藤可士和の仕事 ヒットデザインはこうして生まれる


販売元:NHKエンタープライズ

発売日:2006/09/22
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The National Fine Art Education Digital Collection

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イギリスにThe National Fine Art Education Digital Collectionという美術系大学が参加するウェブアーカイブがある。現在の参加機関は次の通り。

Counicil for National Academic Awards
University of Arts London
Slade school of Fine Art
Royal College of Art
Norwich School of Art and Design
University of Brighton
Birmingham Institute of Art and Design
University of Leeds
University of Ulster
Glasgow School of Art
Duncan of Jordanstone College of Art and Design

まだ試験運用中のようだが、人、場所(機関)、時間(年代)の3つからコレクションを検索でき、インターフェースも今のところ使いやすい。難点を上げるとすれば、コレクションの選出基準が「芸術教育への貢献」とだけ記されていていまいちはっきりしないという点と、コレクションが増えてきた際に機関や年代という検索基準だけではヒット数が膨大なものになってしまうということだろうか。しかし、美術系大学が合同で参加しているという点が本データベースを魅力あるものにしていると感じる。各大学のHPからアーカイブを検索していたのでは面倒なことこのうえない。日本でも各種アートアワードの受賞作品を集めたウェブアーカイブが構築されると研究者や作家、学生にとって便利なものとなるだろう。

The National Fine Art Education Digital Collection HP

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英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展

英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展
2008年4月25日〜7月13日
森美術館

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文句なしに刺激的。

 デミアン・ハーストの作品に引かれ、英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展を観に行った。ハーストの作品とは、まっ二つにされた牛がホルマリン漬けにされている例の「衝撃的な作品」<母と子、分断されて>である。私にとっては長らく実物を観たかった作品の一つで、ようやくの対面となった。実際に対峙してみると、図版で観ていた印象とはまるで異なり、衝撃的であるとかグロテスクであるという表現は相応しくなかった。むしろ静謐な雰囲気に包まれているといっていい。そう感じたのは牛の断面が極めて丁寧に処理されていたことも大きいだろう。「生物を切る」という行為は料理のため日常的に行われている。ただ、文脈から切り離しそれだけをクローズアップして提示すると普段は隠されていたものが立ち表れてくる、そう頭でのみ理解している時は「グロテスクだろう」と勝手に決めてしまっていた。今回もまた実物を観ることの大切さを改めて教えられた。

 ターナー賞の受賞作だけを集めたこの展覧会が面白くないわけがない。ジリアン・ウェアリングのほとんど動きのない60分の映像作品を展示してしまうのはさすがに無理があるのではと思ったが、来館者は映像と作品解説を見比べながら作品の面白みを確実に掴んでいたようであるし、マーティン・クリードのライトが点いたり消えたりするだけの作品のある部屋では、通り抜けていった家族連れが狙い通りの会話を残していった。「これが作品なんだって」「うそでしょ」と。私のもう一つの目当て、マーク・ウォリンジャーの着ぐるみの熊の映像も楽しめた。そう、どの作品も期待を裏切らない刺激に溢れている。

出展作品の面白さもさることながら、本展は展覧会としての完成度が非常に高い。パネルのタイポグラフィー・デザインや作品(特に映像作品)の配置、モニターに映し出されたスライドショーなど隙がない。とくに章ごとに壁に据え付けられたモニターが映し出すスライドショーはデザイン的にも恰好がよく、その年の候補作品を順に観ることができる仕掛けである。ただ、来館者の多くは情報が時間差で表れてくるスライドショーよりも一度に把握しきれる文章のほうが読みやすいとみえる。しばし観察していると、スライドショーには一瞬目を向けるもののモニターよりも普通のパネルを見ている時間のほうが長いようであった。

この他、オーディオ・ガイドも無料で借りることができる。普段は借りない私も試しに使わせてもらったが、その内容の良さに驚いた。個々の作品解説というよりも、作品に即してターナー賞の歴史を辿るという構成で、その年の授賞式のエピソードなどトリビア的な内容が充実感を高める。機会があればもう一度見ようと思う。

英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展HP

英国美術の現在史ターナー賞の歩み

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大学図書館の広告力


(注:時間によっては図書館が舞台ではないときもあるようです。)


大学図書館の広告力

 伊東豊雄の建築で注目度が高かった多摩美術大学図書館。現在、この図書館はユニクロがブログパーツとして広く配布している「ユニクロック」に使用されている。「ユニクロック」は女性ダンサーがユニクロの衣服を着てリズミカルに踊るスクリーンセーバーであり、ブログパーツでもある広告媒体だ。つまりユニクロックを使う人は舞台となっている多摩美術大学の図書館を必然的に目にすることになる。同図書館はユニクロの他、アップルジャパンの広告にも活用されたばかりである。ユニクロのアートディレクションを同美大出身の佐藤可士和が務めていることと関係があるのかどうかはわからない(ユニクロックの映像を手がけるのは、映像作家の児玉祐一)が、少なくとも広告に相応しい場所として選び出されたことは間違いない。映像をみる限り、身近ではあるがやはり特別な場所である図書館を使う面白さが感じられる。
 なるほどユニクロはこれまでも東京国立博物館の特別5室前の大階段を使ったことがあり、文化施設を使うことには先例があった。とはいえ、これまで大学図書館がCMに使われることなどあっただろうか。閲覧環境、資料へのアクセス性など基本的な機能を充実するのは当然として「デザイン」という付加価値が付いた図書館は、企業の広告に乗って大学のブランディングにも力を発揮する・・・。多摩美の図書館とユニクロックの組み合わせは大学図書館の新たな可能性を物語っているように感じられる。

追記:
ただし、多摩美術大学図書館の立地が東京近郊というのは大きい。広告を作る側にとって利用しやすい位置にあるというのは重要なことで、地方の大学が同様のことをしても広告力を発揮する機会は少ないものと予想される。

つくる図書館をつくる―伊東豊雄と多摩美術大学の実験Bookつくる図書館をつくる―伊東豊雄と多摩美術大学の実験

販売元:鹿島出版会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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六本木ライブラリー

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六本木ヒルズに「英国美術の現代史:ターナー賞の歩み」展を観にいったところ、「アカデミーヒルズ六本木ライブラリー」なるポスターが目に留まった。「へえ、こんなところにも図書館があったのか」と感心したのだが、帰って調べてみるとただの図書館ではなかった。どちらかというと現代の高級サロンといった趣きで、年会費約11万円也。図書館というよりハイクラスのためのパーソナルオフィススペースというのが正しい。蔵書はなく置いてある本は本屋の書棚と一緒で「買えば」持ち出せるという仕組み。ディレクターの言葉を借りれば、ここは「新規イノベーションを起こすことを目的とし、他人と知識をシェアするための場」であって単に本が収集される場ではないとのこと。「情報に効果的にアクセスするシステム」としてのサロン(ライブラリー)という発想はある意味古風だが、公共図書館ではこれまであまり省みられる機会はなかったのも事実であろう。なかなか魅力的なこの考え、実現しやすいのは公共図書館よりもすでにサロン的まとまりの下にある大学図書館だろうし、効果が期待できるのも後者だろう。しかし本来は公共のミュージアムの図書室がこういう役目をもっと果たすべきなのだと思うのは私だけだろうか。

六本木ライブラリーHP

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ルーヴル美術館展 フランス宮廷の美

ルーヴル美術館展 フランス宮廷の美
2008年4月26日〜7月6日
神戸市立博物館

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神戸市立博物館でルーヴル美術館展が始まった。「ルーヴル」の名を冠して、人が来ない訳がない。覚悟の上で週末の午後に訪れたところ、案の定結構な人の入りであった。出品されているのは主に工芸の分野で絵画は少ない。

1階ホールには写真を撮るスペースが設けられていた。好評のようで、携帯電話で撮影していく人が後を絶たない。改めていうまでもないが、ミュージアムという「場」は多くの場合、旅行やデートの途中に利用される。であれば、人々が「その場を訪れた」という記憶を残す手助けをするため、何かしら準備をしておくことがミュージアムにとって大事なことである。まさに「情けは人のためならず」だ。「情け」という表現は、人々のためにこそ存在する今日のミュージアムにとって全く相応しくない言葉だが、「ミュージアムに行った」という記憶が人々にしっかりと残ることは、ミュージアムにいつか恩恵をもたらすはずだ。

展示の感想を述べる前に、ミュージアムの「使命」に関する話題をもう一つ。同じく1階ホールに掲げられた「メッセージ」のパネルには次のように書かれていた。ルーヴル美術館館長アンリ・ロワレットの言葉である。

「・・・館の広報用の標語を考えていたとき私たちが重視していたのは、「1793年以来すべての人に開かれている」ということです。この「開かれた場所」という考え方は非常に本質的で、まさに美術館の使命の1つ「できるだけ多くの人に作品を知ってもらうこと」を反映するものなのです。国際化が進む現在、美術館はもはや、ただ作品を見に来る場所にとどまる訳にいきません。美術館はその使命を自らに問いかけ、いかにして出来得ることを広げていくかを考えなければなりません。つまり展覧会によって作品を移動し、パリに来る機会のない人々にも作品を見てもらえることを考えていかねばならないのです。」

ルーヴル美術館はじめ海外の巨大美術館が、近年相次いで分館建設に着手しており、その設置場所は中東にまで及んでいる。ロワレットの言葉もこうした「美術館の世界戦略」という現状をふまえて読まなければならないが、「いかに出来得ることを広げていくか」という姿勢は学ばなければなるまい。

肝心の展示は、出品点数も充実しているし、当時の宮廷の「趣味」がよく伝わってくる内容であった。銀食器と嗅ぎ煙草入れなどの小物が充実し、見所の一つとなっている。なかでも背面が見えるよう展示された≪「枝付き燭台の」あるいは「鑞受けのある」ポプリ入れ一対≫や≪ダイヤモンドを象嵌した飾り武器模様の嗅ぎ煙草入れ≫などがその豪華さゆえか、来館者の足を止めさせていた。

ただキャプション(作品解説パネル)の配置は気になる。展示ケースの上部に設置されたキャプションは、背の低い人や視力の弱い人にとっては見にくいものである。実際、高齢の方は見にくそうにしていた。私も膝を曲げて視線を下げてみたところ、位置によってはライトの反射のせいで字が見えず苦労した。キャプションを上部に設置するというのは混雑を予想しての配置であろうが、子供や高齢者への配慮という点からみれば、問題があるように思う。

その一方で「こどものための鑑賞ガイド」が作成されていた点は評価できる。市立の博物館でこの種のガイドを特別展用にきちんと作成している館はまだ少ないはずだ。実際、なかなかお目にかかる機会がない。内容が充実している分載せられている情報がやや多かったのと、情報の配置にもう少し「まとまり」を持たせたほうが見やすいデザインになった、という点は改善点として挙げられよう。とはいえ、地道な活動がきちんと展開されているということを素直に喜びたい。その館が地域の中でどういう役割を果たしていこうとしているのか、こうした鑑賞ツールの存在からも感じることができるというものだ。

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写真撮影スペース。今は携帯電話での撮影が主流か。

ルーブル美術館展HP(朝日新聞社)
神戸市立博物館HP
「ジュニアミュージアム講座」:プログラムも充実している。

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書籍紹介『美術と展示の現場』

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書籍紹介 
秋元雄史他著『美術と展示の現場』新宿書房,2008年.

展示の場を巡る多角的な考察

美術館に席を置く四人の識者が、それぞれの立場から展示を巡る「今」を語る。本書は、神戸芸術工科大学の連続講義の記録であるが、内容をみれば学生への影響もかなりのものと想像できる。金沢21世紀美術館の館長職にある秋元が、美術を見せる「場」が美術館からいかにして地域へと拡がっていったのか、を前任地の直島の事例を基に夢のある話題を提供したかと思えば、東京都写真美術館の笠原からは仕事をする環境、すなわち就職先としてみた場合の美術館の厳しい現実が語られる。その一方で、兵庫県立美術館の中原と東京国立近代美術館の増田は、より根源的な問題に踏み込んでいく。中原が現代美術の多様な作例を引きつつ、美術にとって展示とは何かを今一度考えさせるならば、増田は自身の専門である写真の美術館における展示史を概略しつつ、美術館の在り方に対して示唆に富む言及を残す。講義の際に示されたであろう図版をもう少し所収してほしいという願いはあるものの、読んで素直にわくわくできる、そんな内容の一冊だった。美術館への就職希望者のみならず、作家志望の学生にとっても一読の価値がある。

Book美術と展示の現場 (神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ 2-1)

著者:秋元 雄史
販売元:新宿書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


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オンライン展示考

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オンライン展示(online exhibition)考

美術館ウェブサイトの新たな可能性

 近年、「インターネット展覧会」という言葉を目にするようになった。ネットが浸透しつつある時期に盛んにもてはやされたアンドレ・マルローの「空想の美術館」を想起させるこの言葉自体に私自身抵抗がないわけではない。が、まずは次に挙げるオンライン展示をみてもらいたい。一つはニューヨーク近代美術館(MOMA)のDesign and Elastic Mind〔デザインとしなやかな思考〕というオンライン展示、もう一つは広島市現代美術館のインターネット展覧会である。

Design and Elastic Mind(オンライン展示)
広島市現代美術館インターネット展覧会(internet exhibition)

これらのサイト、特にMOMAのそれは美術館がこれまで行ってきたネット利用と明らかに一線を画している。非常に手の込んだフラッシュによりネットでしかできないことを実現してみせたと評価できる。インターフェース(画面)は世界的な評価を受けるウェブ・デザイナー中村勇吾の作品。

これまでも作家が自分の作品をネットで公開したり、実在する美術館が著作権が切れた作品の画像を公開したり、ということはあった。それらはしばしば「ギャラリー」という名称を与えられてきたが、どちらかといえばアーカイブであった。つまり、そこではある意図に沿って展示される展覧会ではなく、せいぜい常時公開の収蔵庫にすぎなかったのである。

それが今、実在の美術館が実際にネット上での展覧会に着手し始めている。もちろんMOMAのDesign and Elastic Mindはネット上だけで行われているわけではないがonline exhibitionと明記され、ウェブサイトも作り込まれている。普及媒体としてネットを積極的に利用しているだけではないか、という言葉も聞こえてきそうだが、決められた章立てのみならず、いくつかのテーマに沿って次々と作品をブラウジングしていけるところなどは、まさにオンライン展示の真骨頂である。ウェブ・デザインの成否が問われる部分であり、よく出来たインターフェースを準備することが今後更に求められていくことだろう。

そして、どうやら映像作品がオンライン展示という形態に適しているとみえる。実際の会場で映像作品を観るとなると、鑑賞に時間がかかるため作品数も制限される。まして混雑して立ち見などになったら最悪である。加えて、そもそもデータは複製可能を前提としている以上、乱暴にいえば存在するデータ全てがオリジナルな作品として成立しうる。データ化された映像作品は、どこでみてもオリジナルな映像作品として私たちの前に表れるといえよう。広島市現代美術館のオンライン展示はこうした映像作品で構成されており、なかなか面白い作品を観ることができる。

これまでは実際の美術館に足を運ぶ前に、今どんな展覧会が行われているか、や交通案内をチェックするのがウェブサイト利用の通例だったが、今や美術館のウェブサイトは、単なる情報掲示の場を超えて、それ以上の価値を持つに至ったとみるべきだろう。距離や時間に関係なく入場可能なもう一つの展示「会場」が、ネット上に確かに生まれつつある。今後もオンライン展示の動向には注目していきたい。


MOMAではDesign and Elastic Mindの他にもオンライン展示を観ることができる。
ニューヨーク近代美術館HP

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ウルビーノのヴィーナス

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ウルビーノのヴィーナス
古代からルネサンス、美の女神の系譜
2008年3月4日〜5月18日
国立西洋美術館

教科書的な展示内容

 イタリアから名画が来る。そう聞くと一点豪華な展覧会かと思ってしまうが、本展に限っていえばそうではない。美の女神ヴィーナスの古代における図像の在り方及びルネサンス以降の復活と発展の様子を辿るという教科書的な展示内容となっていた。つまり、≪ウルビーノのヴィーナス≫一点に焦点を合わせているのではなく、それも含めてヴィーナスの図像変遷を見せようとしている点が印象に残った。

会場では絵画のみならず、彫像やアクセサリー、調度品などに見られるヴィーナスの図像表現もみることができる。多様な展示品によって空間は、どこかヨーロッパの美術館のような雰囲気もあった。

 会場内に掲示されていたヴィーナスの図像変遷を示すパネルは、情報がよく整理されていて見やすかった。それによると官能性が際立つ≪ウルビーノのヴィーナス≫とは別に、ミケランジェロの下絵を参照した「男性的(哲学的ということらしい)」なヴィーナスの描き方があることがわかる。ポントルモの≪ヴィーナスとキューピッド≫だ。その作品も≪ウルビーノのヴィーナス≫の隣に展示されているのが本展の素晴らしいところ。きちんと構成された展示の中で観ればこそ、対比的に2つの作品を捉えられる。これらは収蔵先が違うのであるが、仮にイタリアで2つの作品が並べて展示されていたとしても、特に説明がなければ、影響関係などどこ吹く風、意識散漫通り過ぎてしまいそうだ。日本で、特別展で、観る意味もここに見出せる。

残念なのはジョルジョーネの描いたヴィーナスが展示されていなかったことである。ジョルジョーネの作品もパネルでは重要な位置付けにあったが、さすがに3点揃えるのは難しかったのだろう。構図を見る限り、企画した学芸員も出展させたかった作品に思えた。

展示室には図録に混じって、作品解説の拡大文字版も置かれている。こうした活動は地味なものだが、教育普及的な観点からみれば軽視できない。教育普及などと生真面目な表現をしなくとも、こうした「ちょっとした気遣い」が必要な人には嬉しいもの。コストも安く済みそうなので、他館でも導入が進むことを期待したい。

西洋美術館ではジュニア・パスポートという名称で小中学生向けの特別展用教育普及ツールを作成している。今回は、誕生・結婚・恋・キューピッド・もっとも美しい女神、のテーマ毎に簡単な解説が付く仕上がりとなっていた。このジュニア・パスポートを持った子供を見かけた人たちが「どこかに置いてないのかな」「便利そうだよね」と会話しているのが聞こえてきた。大人たちにも需要が多そうだが、今のところ配布はされていない。

それにしても上野の山は桜の季節。大変な混み具合を覚悟していたが、外の喧騒に比べれば、館内は落ち着いたものだった。

ウルビーノのヴィーナス 展覧会HP

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書籍紹介 『日経 五つ星の美術館』

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書籍紹介
『日経 五つ星の美術館』日本経済新聞出版社,2007年.

格付けされた美術館

 ミシュランガイドにも東京版が登場し、世間的にも何かと「格」という言葉が流行している昨今。だが本書において「美術館を格付ける」という行為は、そうした流行に安易に乗ったものではない。美術館が置かれている現実に鋭く反応した結果出てきた価値ある調査成果なのだ。

 独立行政法人化された国立の博物館・美術館は、企画と採算の間の葛藤が高まり、地方の公立館は予算削減と指定管理者制度に揺れている。そうした現状をふまえ「費用対効果、入場者数に依存するだけが美術館の評価ではない、新たな評価基準が必要」と関係者の誰もが思っている中、一つの指標を提示したのが日本経済新聞社だった。さすがは文化欄にも定評がある同社である。ここ10年の間にミュージアムをどう評価していくかはマネジメント意識の伸長とともに盛り上がりつつあったが、ここまで大々的に評価を下し、書籍という一般の目に届く形で提示した先例はない。

では実際には、どんな評価方法を採ったのか。どうやら美術館の仕事を3つにわけて考えたようだ。展覧会の企画力や研究能力を計る1)学芸力、入場者数や助成金獲得具合などを計る2)運営力、学校等と連携したプログラムなどを計る3)地域貢献力、を評価軸として策定。これに専門家の意見を加味し、それぞれの館の偏差値として算出し、星5つから星1つまで5段階の総合評価を与えている。

調査主体も認めているように、評価の時期と基準により、星の数は容易に変化してしまう。そのため本調査の結果与えられた星の多さで館の能力を即断するわけにはいかない。ただし、重要な点は、調査主体の努力によって全ての国公立美術館を対象に評価が「初めて行われた」ということである。今後もミュージアム評価の問題は議論の尽きない領域だが、本書は「変化のための着実なる一歩目」と評価できよう。

日経五つ星の美術館日経五つ星の美術館

販売元:日本経済新聞出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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エミリー・ウングワレー展

エミリー・ウングワレー展
2008年2月26日〜4月13日
国立国際美術館(大阪)

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 エミリー・ウングワレー展を観た。いわゆる「プリミティブ」な表現が売りの作家であろうと別段期待していなかったのだが、展覧会の構成の妙もあり楽しめた。

エミリー・ウングワレーは、アボリジニーの儀礼のため身体に化粧を施す役目を果たしてきたとのこと。確かに彼女の初期の作品にはその影響が感じられる。同じ形態の繰り返しが主であり、そこで用いられる色や形にそれぞれアボリジニーの「伝統」に基づく象徴的な意味があるのだろうと想像できる。ただし、鑑賞者がこの初期作品を目にするのは展覧会の終盤になってから。初期といってもそもそも彼女がキャンバスに絵を描き始めたのは晩年のことだそうで、100点近い出展作品のほとんどが没前8年という時間に収まってしまうのであるが・・・。

この展覧会、通常であれば初期作品から晩年へと向かって時系列的に見せるところを最晩年から初期作品へと戻る構成になっている。亡くなる間際の円熟した抽象表現から徐々にその根底にある文化背景に近づいていく、というイメージだ。私にはこの構成が「単に伝統を引き継いだだけの、いわゆるプリミティブ・アーティストではないですよ」という企画側のメッセージのように感じられた。というのも、展示室に入ってすぐ目に飛び込んできたのが、大胆に刷毛で描かれたピンクと白と青の色彩が冴える抽象絵画だったからだ。誤解を恐れずいえば、「プリミティブ」というにはあまりに洗練されている作品であった。

この驚きを増幅する仕掛けの一つになっているのが、B2Fに設けられたユートピア・ルームであろう。国立国際美術館の展示室は地下にある。この展覧会ではB3Fがメイン会場だが、B2Fに前室的な展示スペースが設けられており、ウングワレーが生きた土地への背景知識が提示されている。ここでは儀礼に用いる「伝統」的な像などを見ることができた。最晩年から初期作品へ向かう構成、前室的なユートピア・ルーム、これら2つの仕掛けによって、彼女の最晩年の境地がいかに自身の文化と様式や色彩の面において抜け出しているかが伝わった。

作品では色彩の魅力が際だつ。白と黒のはっきりとした対比で描かれた力ある線もよかったが、赤やピンクなどを用いた作品の色の配置に強く惹かれた。

だが、なぜ彼女は評価されるようになったのだろう。彼女の表現の媒体がキャンバスでなかったとしたら、あるいは近代の西洋美術が「発展」の末辿り着いた抽象表現のようでなかったとしたら、作者がいわゆる「プリミティブ」な出自を有する、アカデミックな教育を受けていない老齢の女性でなかったとしたら、同様の評価を受けただろうか。西洋から「ユートピア」と名付けられた彼女の生地のように、そこにある種の歪んだ眼差しはないのだろうか。そう書いている自分自身にも、作品に対する同様の眼差しが働いているのではないか、と不安になる。作品は確かに満足のいくものだったが、どこか素直に満足できない気持ちを抱えつつ、展覧会を振り返っている。

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エイヤ=リーサ・アハティラ展

エイヤ=リーサ・アハティラ展
2008年2月3日〜3月23日
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

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ビエンナーレでの評価は高いようだが・・・

 2010年に行われるという「瀬戸内国際芸術祭」について北川フラム氏の講演があると聞き、高松に向かった。ついでといってはなんだが、気になる企画をやっていた猪熊弦一郎現代美術館(丸亀市)に足をのばす。エイヤ=リーサ・アハティラ展である。勉強不足で作品を観たことはないが、彼女は世界的な評価を受けるフィンランドの作家。

作品は写真を含めて5点程度、映像作品は2作品だけというこぢんまりとした展覧会であった。メインとなるのは2005年のベネチア・ビエンナーレに出展されたという≪祈りのとき≫。愛犬の死という個人的にして普遍的な事柄が、マルチヴィジョンによる交錯した場面展開で語られる映像である。現実と虚構の往来が彼女の作品の魅力だそうだ。なるほど4面のマルチスクリーン上では、アハティラによって仕立てられた演技者によるナレーションと、ストーリーを補完する(と思われる)「景色」とがシンプルに交差していく。ビエンナーレで「絶賛された」とのことだが、どうも私にはピンとこない。感情を移入すべき拠り所を見出せなかったことが大きな理由だと思う。

どちらかといえば、もう一つの作品≪漁師たち≫のほうが面白かった。荒れた海に向かってひたすら櫓をこいでは船が波にのまれる、その繰り返しが映されているだけの映像作品。まるで出来の悪いホーム・ビデオのようなドキュメンタリー、その潔さにまず感服する。マルチヴィジョンを特徴とするアハティラの作風とは一線を画すようだが、映像としては面白い。不謹慎な笑いにすら導かれてしまう。「現代美術はわからない」を地で行く、全く意味不明な作品であった。いったい何を伝えたいのだろう、この種の作品ほどそれを考え始めると難しい。なにしろ映し出されているのは波に挑む漁師たちの無力な行為だけである。魚が捕れたのかどうかすらわからない。大波が来て、船が転覆し、漁師たちが波間に漂う。彼らが本当に漁師かどうかも怪しくなるほど、船は簡単に転覆してしまうのだ。タイトル(エチュードと付け加えられている)から察するに「習作」という位置づけのようだから、今後別の形でこの漁師たちと対面することもあるかもしれない。そのときに真意を知ることもできよう。意図を理解することは困難な作品であったが、アハティラの視線の中には、好奇や嘲笑といったものはなかったことを最後に付け加えておきたい。

展覧会としては期待したほどの作品量がなかったことに加え、≪祈りのとき≫は英語のナレーションのみで字幕がなかった点が気にかかった。英語がわからなくても映像からわかる範囲で類推する、それも映像表現の持ち味なのかもしれないが、来館者の大多数にとって親切であるとはいえないだろう。別刷りで解説を掲げるなど工夫が欲しいところである。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館HP

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菅野美術館

菅野美術館
宮城県塩釜市

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壁の傾斜が生み出す、心地よさ

 仙台にほど近い港町塩釜の駅を降り、案内板を頼りに住宅街を10分ほど歩くと、丘に面してひっそりとたたずむ菅野美術館に辿りつく。鋼板を使った外壁が赤茶けた姿態をさらし、宮城を代表する彫刻家佐藤忠良の言に従い「藝術は人生の必要無駄」と彫り込まれた表札が訪れる者を迎える。錆を帯びた重い扉を開けると、中は一転、白亜の空間に誘われる。白い内部には、10点弱の彫刻作品が気持ちのよい間隔で配置され、それぞれの魅力と穏やかに向き合うことができる。

収蔵品はロダンやムーア、ブールデルら有名作家の小さめの作品が揃う。数は少ないが、個人コレクション、さらに塩釜という地勢を考えれば充実していると言わざるをえない。

だが、菅野美術館は収蔵品もさることながら建物自体が見所だ。阿部仁史の手による内部空間は圧巻。外壁同様にデザインされた白い鋼板が大胆に傾斜して配されることによって、絶妙の間仕切り感が演出されている。決して暗くはないが「洞窟」あるいは「教会」のような雰囲気をもつといってもよいだろう。訪れる前、写真で内部の様子を知った時は、奇をてらった居心地の悪そうな空間に見えたものだが、実際に内部に足を踏み入れ、空間を感じると実に居心地がよい。どこにも扉がないのだが、場所を選べば傾斜した壁がほどよく視線を遮ってくれる。人によって好みはあろうが、住居として使用しても案外気持ちよく過ごせるはずだ。

仙台を訪れたら少し足をのばして、落ち着いた空間で彫刻作品と向き合ってみてはどうだろうか。素敵な時間となるに違いない。

外壁写真
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内部も同様の鋼板のデザインだが、白塗りである。

美術館の表札
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佐藤忠良の言葉が刻まれている。

菅野美術館HP

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寺山修司展をデザインする

寺山修司展をデザインする
ジャグダ青森デザインキャラバン#3
2008年2月2日〜7日
青森県立美術館コミュニティギャラリー

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展覧会のポスターデザイン・コンペ

これから開催される展覧会のポスターを公開コンペで決める。これはなかなか面白い試みである。館内では職員が何枚かのデザイン原案を見ながら、これがいい、あれがいいと言い合うことはあっても、それを公開で決めようというのは珍しい。もちろん私も一票投じさせてもらった。

気に入ったものには何枚でも投票でき、写真も撮れたので、僭越ながら投票したものにそれぞれコメントを付けてみようと思う。

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普通の字体でつまらなさもあるが、そのぶん「寺山修司」の名前が力強く目に飛び込んでくる一枚。展覧会のポスターは何が行われるのか明確に伝わるほうがいいとの理由で選んだが、後で見返してみると思ったほど心に響いてこない。やはり字体はもう少し凝ったほうがいいのだろう。

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天井桟敷らしさ満点の一枚。ローマ字の間にちょこっと挟み込まれた寺山の顔がお茶目。ただ展覧会の名前が少し小さいのと、天井桟敷そのまんまのイメージになっているのが気になった。展覧会としての独自性をアピールできる要素が欲しい?

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会場に入ってまず目に飛び込んできた一枚。前述のものと同じ天井桟敷のモチーフを使ってはいるが、背景として上手く溶け込んでいる。展覧会名の可読性も高い。ポスター下部の寺山の群れ(だと思う)は、個人的にはちょっと苦手。

さて、注目の結果発表。選ばれたのは3枚目、チバレイコさんのもの。彼女はやはり青森県立美術館で行われた『舞台芸術の世界:ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン』(2007年9月29日〜10月28日)や国際芸術センターのアーティスト・イン・レジデンス展『裏糸:Under Thread』(2007年10月20日〜11月11日)のポスターを手がけているらしい。特に『舞台芸術の世界』のポスターは雰囲気がよく出ていて素敵なデザインだったと記憶している。

今回のプレイベント、約一週間で344名1206票の参加があったということなので、ひとまずは成功というところか。まずはプレイベントで盛り上げて、会期中の人の入りを後押ししたいという館の思惑が成功するかどうか、展覧会自体の入場者数にも注目したい。

会場風景
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「ユビキタス」を使ってみた

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青森県立美術館平成19年度常設展Ⅳ
2008年1月1日〜2008年4月13日
青森県立美術館

「ユビキタス」を使ってみた。

 ≪青森犬≫の写真が撮れるようになったということなので、どんな様子か青森県立美術館に出かけた。けれども、今回の話題は以前から気になっていたユビキタス端末。青森県立美術館は県立クラスでは初めてユビキタス端末を導入した美術館として知られている。実際のところその使い心地はどうなのか、使用感をレポートしたい。

 まず利用には申請書類が必要になる。「いつでも・どこでも」が合言葉と化したユビキタス端末を利用するために「記入」という古典的な所作を求められるとどこか居心地の悪さを感じてしまうのは私だけだろうか。できれば、もっと簡単気楽にアクセスしたいところだ。さて書類を書いてから機器の説明を受けるのだが、バッテリーは2時間しか持たないとのこと。もちろん会場を2時間かけてゆっくり回る人は多数派ではないとはいえ、今のPCやポータブル機器の持続時間を考えれば、かなり短い。特別展との併せて会場を巡るとなると少し心配であろう。筐体も大きめで、ハードとしてはまだまだ試作段階という感じである。

 コンテンツに関していえば、既に何度も訪れている私にとって館内情報は必要ないので、その点に魅力はあまり感じない。ただ初めて館内を訪れた者にとっては推奨ルートなどの情報は役に立つ面も多いはず。ただし「推奨ルートにしたがって展示室〜に進んでください」と言われるだけでは、その先の展示室に何があるのかは検索しなければわからないので、ガイドというには少し頼りない。肝心の作品や作家についての情報量も少なかった。求める情報の質と量は各人で異なるとはいえ、それぞれに対応できてこその「ユビキタス」であろう。現状の内容では機器を持つことで障害が増えただけのような気もする。端末の操作それ自体に煩雑さはないが、機器の装着感、端末を持って館内を歩くという行為に慣れるまでには時間が必要だ。少なくとも私の場合、手ぶらで館内を歩くよりも巡航に入るまでの時間は確実に増えている。

 利点を言えば、たいてい展示室の入り口付近に掲げられている解説パネルを見ずとも作品の前で作家情報が耳から入ってくることだった。作品を観ながら知らない作者についての情報を引き出せるのはやはり有り難い。ただセルガイドやオーディオガイドでもそれは可能なことなので、セルフガイドやオーディオガイドよりも操作が増えるだけのユビキタス端末に利点があるのかと問われると疑問符が付く。ユビキタス端末の利が出るか出ないかは、今後のインターフェースとコンテンツ開発の状況次第といったところか。例えば、作品の前に立てばその作品の解説が自動的に始まるならいい。しかし、今のところ端末をタッチペンで操り、画面中の作家タブ、作品タブを選択し、更にその後、個々の作品名までをも選択しなければ解説に辿り着けない。その動作の間、鑑賞者は端末に目を落としたままとなる・・・。

 また今回ユビキタス端末を利用してみて改めて意識したのが、館内をただ歩いているときにも私達はその美術館の雰囲気を感じ取っているということである。端末の利用によって逆説的に、館の雰囲気まで含めて私達の美術館体験は成り立っているという基本を再確認した。端末に目を落として、というか端末に意識を向けながら館内を回った結果、終わってみれば、普段のように美術館という展示空間を楽しんだという感覚は少なく、それぞれの作品の断片的な記憶だけが残った。私の場合、端末を使うことによって美術館という空間への意識が削がれていたのだった。

 ユビキタス端末を導入し、社会実験的に試用してみることの意義は深い。またそれに予算を割いた青森県立美術館が国内の美術館の中で今現在果たしている役割も見逃せない。ただ、もっとハード、ソフト両面における性能の充実をみなければ、「ユビキタス」という言葉の持つ意味を受け止めることはできないだろう。「使ってよかった」という状態になるまでには、今後のコンテンツの充実を待つ必要があるようだ。

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ムンク展

ムンク展
2008年1月19日〜3月30日
兵庫県立美術館

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装飾画家としてのムンク

 兵庫県立美術館で催されているムンク展を観た。ムンクの代表作である≪マドンナ≫や≪不安≫といったムンクの代表作を紹介するに留まらず、本展では「装飾画家」としての側面に焦点を当てている。ムンクの作品の中でおそらく最も有名と思われる≪叫び≫こそ出展されていないが、ムンクの名を聞いて思い当たる作品の多くが展示されていた。確かに充実している。

 有名作品のほとんどが入ってすぐの第1室と第2室に集中しており、徐々に装飾プロジェクトのための素描へと重点が移っていく構成だ。観客は後半にかけてムンクの新たな一面を発見でき、美術史的に「勉強になる展覧会」といえる。ただ正直なところ、有名作品が序盤で出尽くしてしまう印象が否めず、展覧会としての盛り上がりには欠けるような気もした。後半は素描中心である。

 ロビーではムンクの生涯についてのビデオが上映されていたが、これは普及効果が高そうだ。ムンクには興味がないと思って訪れた人でもビデオをみるうちに「観てみようか」という気分になるかもしれない。

 さて、装飾画家としてのムンクの仕事の中では、樹木が重要な役割を果たしているらしい。解説によれば、ムンクは個々の絵の画中に樹木を描くことで装飾としての統一感を与えていたということである。言われてみれば、確かに彼の作品の背景には木が多い。会場で私が惹かれた作品にも、木が面白い役割を果たしていたものがあった。額縁を含めて画面が構成されている作品≪メタボリズム≫である。画面にアダムとエヴァと木が描かれ、額縁の大きめの下部にはその木の根と人と動物の髑髏が刻まれている。そして額縁の上部には木の枝部分としてオスロ市の情景を刻むという具合である。木が額下部と画面、額上部を貫いている。≪マドンナ≫等においても額に描いたり、額を刻んだりという仕事はみられるが、額と画面を連続した空間として捉えていることが興味深い。

 こうした装飾画家としてのムンクの側面を伝えるべく、会場のデザインにも工夫がみられた。研究から浮かび上がってきた当時の絵の配列を素描で再現してみせたり、門を飾っていたと思われる作品の素描を実際に展示室と展示室の入り口にアーチ状に配置してみせていた。実物を展示するわけにはいかない壁画のプロジェクトは本物の存在感と雰囲気を伝えるべく映像で対応していた。国立西洋美術館との巡回展ということも手伝ったのか、派手さはないが構成と会場デザインがよく練られていた展覧会であった。

 会場を出たところに「絵メール」というサービスがあり、PCが4台設置されていた。ムンクの作品の画像を添付ファイルで希望のメールアドレスに送信できるという企画である。多くの画像がウェブ上で簡単に見つけられるこの時代に、どれほどの意味があるのかは不明であるが、試みとしては新しい。今は有名どころ数点の中から選べるだけであるが、出展作品を大幅に画像データとして公開し、展覧会で新たに見つけた「お気に入りの作品」の画像を手に入れることができるようになれば意味も見出せる。有名でない作品こそウェブ上でも手に入れるのが難しいのだから。こうしたサービスが充実すれば、観客と展覧会をつなぐ、新たな記憶の回路になるかもしれない。

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閑話休題10

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閑話休題10

アニメキャラと工作キット

 少し前に、知的障害を持つ子供たちの作品を観る機会があった。美術教育の関連図書を見渡せば、知的障害を持つ子供たちは独特の感性を湛えた作品を残すと書かれていることがある一方で、作者である子供の心理的な状態を読み取る(もちろん作品だけを観ればわかるというものではない)ことができるとも指摘されている。どんな作品と出会えるのかと期待して出かけていったのだが、その期待は儚くも裏切られた格好となった。というのも、個人の感性の帰結というよりはアニメや漫画のキャラクターに意匠を借りた作品が目立っていたからである。これでは彼ら自身の感性を感じることは難しい。

だからといって、私はアニメや漫画のキャラクターを描くことに抵抗があるわけでもない。こうしたキャラクターたちは今日私たちの日常に身近にあるもので、それを模すことは仕方ないというよりもむしろ当然のことである。とはいえ、児童絵画展においてこれらの「キャラクター物」にお目にかかることがあるだろうか、問題はそこである。

今回訪れた展覧会は、コンクールの選考を経た作品で構成されているわけではない。しかし、私は飾られたキャラクターの数々に、作者たちに対するある種の特別な「眼差し」が存在しているように感じてしまった。一般的な絵画展においては飾られることが許されないのに、なぜ知的障害を持つ児童の絵画展においてそれが黙認されるのだろうか。

もう一つ気にかかったのが、誰が作ってもほとんど同じ「造形」が約束されている、工作キットのような「作品」がわりと目についたことである。確かに出来上がりは綺麗だが、観るべきところは少ない。作者の手を感じさせる作品でなく、キットを使う(使わせる)。「キャラクター物」同様、これもある「眼差し」の結果だろうか。

それでも、作者の熱意と手間暇を感じさせる作品がいくつか観られたことは幸いだった。多少形が悪くても作者の意志が感じられる作品がみたい、そう思いながら会場を後にした。

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仙台芸術遊泳2007シリーズ4

仙台芸術遊泳2007シリーズ4
仙台照明探偵団
2007年12月18日〜26日
東北福祉大学ステーションキャンパス・鉄道交流ステーション

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照明から街を観る。

 この春完成した仙山線・東北福祉大学駅。その隣のステーションキャンパスにあるちょっとしたスペースで、仙台芸術遊泳2007の関連展示が行われている。
 ここで展示されているのは、12月15日に行われたワークショップ「仙台照明探偵団」のパネル展示。東京国立博物館のデザイン室長である木下史青氏が著作『博物館に行こう』の中で紹介しているように、元々は照明デザイナーである面出薫氏が社内で行っていた自主活動だったようだ。既に「照明探偵団」の名を冠した著作もいくつか刊行されているので、そちらを読まれた方もいるだろう。

 肝心のワークショップには別用で参加できず、パネル展示のみを見ることとなった。パネル展示からもワークショップの面白さが十分に感じられるだけに残念である。街路の至る所にいつも存在するのだが、普段は見過ごしがちな「明かり」。それらが放つ「英雄」的ないし「犯罪」的な光を検討しようというのが照明探偵団の主旨である。

パネルの中に「照明探偵団5カ条」を見つけたので、以下に紹介しよう。

1. 常に身の回りの光の害に憤慨すること。
2. 深く鋭く現場の光を観察すること。
3. 芸術的な光に大袈裟に感動すること。
4. 感動的な光の内容を冷静に推理すること。
5. 光の体験を継続的に蓄積すること。

 それにしても、住み慣れた街であるはずなのに、まったく知らない(正確に言えば意識されていない)光源が多いのには驚いた。これは自分が普段一つ一つの光源に注目しているのではなく、それらが複合的に空間を満たす光(すなわち照明)を感じているためだと思う。ワークショップの参加者もきっと同様だったのではないかと想像するが、参加者はこのワークショップを通じて光源に対して確実に敏感になれたものと思う。機会を見つけて、ぜひ参加してみたいワークショップである。

照明探偵団の詳しい活動については同団HPを参照のこと。
http://shomei-tanteidan.org/

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仙台芸術遊泳2007シリーズ3

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仙台芸術遊泳2007シリーズ3
光のダブルイメージ
2007年12月12日〜24日
仙台市博物館


博物館、なぜか有料。

 英語でmuseum pieceと言えば、博物館行きになったモノ、つまり貴重であるが古めかしいモノ、というネガティブな「古さ」をも含む言葉である。今回の展示もそういうイメージを喚起するに十分な内容だった。

仙台市博物館で行われているのは「光のダブルイメージ」。窓から差し込む心象的な光を捉えた作家、松尾藤代の作品を中心にした企画である。華々しい映像だけが光の捉え方ではない以上、絵画の中の光と向き合うという趣向も悪くない。「光」がテーマの今回の仙台芸術遊泳に相応しい静かな作品だった。

宮城県美術館、せんだいメディアテークで行われた先の2つの映像体験とは性格が異なる以上、松尾の作品とそれらを比べても仕方ないのでそれは避ける。問題は、なぜ有料なのかということである。そう、松尾の作品を全て鑑賞するためには常設展の入場料を払わなければならない。1階ロビーにおいて無料で見られる作品もあるとはいえ、他の多くの会場では全てが無料で見られる中でこの措置はいかがなものだろうか。ちなみに仙台芸術遊泳2007において有料であるのは、仙台市博物館と仙台市歴史民俗資料館のみである。2005年に行われた仙台芸術遊泳でも全ての企画が無料であったことを思えば博物館の姿勢は理解に苦しむ。

仙台市博物館では光をテーマに10点前後の館蔵資料を集めた展示も一部屋設けられているが、それも今見なければというほどでもない。どうして無料にできなかったのか。順路を工夫すれば常設展との棲み分けも可能と思われるだけに、単に展示場所の問題という訳でもなさそうだ。この措置が博物館独自の判断によるものか、それとも貸し会場的に仙台芸術遊泳の意向に沿ったものであるのかは確認する必要があるとはいえ、この企画に対し博物館側は乗り気ではないのか、そんな印象を受けたことは確かだし、仙台芸術遊泳2007という企画自体の足並みが揃っていない感じもした。

次回も仙台市博物館で開催することがあれば、次こそは「入場無料」を掲げてほしいものだ。

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閑話休題09

閑話休題09
≪青森犬≫の撮影が可能に

 以前このブログの中で、青森県立美術館所蔵のモニュメンタルな作品≪青森犬≫の撮影ができないことについて疑問を呈したことがある。ようやくの感もあるが、2008年1月から≪青森犬≫の撮影が可能になるらしい。これで他県からのお客様を案内しても、心おきなく≪青森犬≫をカメラに収めてもらえる。もはや無視できなくなっているバイラル・マーケティング効果を考えるならば撮影許可は当然の措置であろう。

ただし、これまで青森県立美術館は写真撮影ができない理由を一貫して著作権に依拠していたはずだ。では今回撮影可能になるのはどういう訳か。撮影禁止から撮影可能へ、館としてこの転換をどう説明するのか注目したい。(作品購入時の条件がどのようなものであるかは不明であるが、おそらく著作権の一部は既に作家から美術館へと譲渡されていたのではないか。だとすれば今回の転換は館内部の意見の変化であり、作家側との交渉により複製権の譲渡があったわけではないことになる。)この点に対しきちんと説明責任を果たさなければ、美術館は著作権を都合良く振りかざしていただけとも捉えられかねない。とりわけ来館者と一番に接する監視スタッフたちの発言は重要だ。

 本件は著作権に関する絶好の教育機会を青森県立美術館に与えていると私は考える。今後は「なぜ撮れないか」ではなく「なぜ撮れるのか」をアピールすることで「著作権」の考え方を県民に広める役目を果たして欲しい。それでこそクライアント・センタードの理念に沿うことができるし、地域のアート・センターとしての役割を担うこともできるだろう。今日、著作権は美術を考える上で少なからず関わってくる権利なのだから。

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Water展

Water展
2007年10月5日〜2008年1月14日
21_21デザインサイト

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素晴らしきデザインの力。

 ミッドタウンの端にある21_21デザインサイトで「水」をテーマにした一風変わった展覧会が行われている。「明治おいしい牛乳」などのデザインを手がける佐藤卓がディレクションを担当しているが、そのデザインの行き届く範囲が実に素晴らしい。解説文がなくとも展示とどう向き合えばよいかわかるのである。

もちろん展示空間も極めてデザイン・コンシャスな作りであるが、それだけで来館者が視覚的に展示と接することができる環境が生まれるわけではない。それは的確な「サイン」の成せる技である。普通、展覧会にいくとまず入り口で挨拶文を読み、部屋毎の展示パネルに目をやり、作品に付されているキャプションを読むことになるが、ここではそれは無用である。そのかわり、壁面に控えめに配された人影をみればよい。

つまり壁面の人影は「さくら」。会場を訪れた者に対して、終始無言で展示品をどう動かしたらよいか実演してくれているのだ。水瓶を覗き込めばよいときは水瓶を覗き込む人影が、電話をとるように機器を耳に当てればよいときは機器を耳に当てている人影が、すでにそこにいる。

もちろん展示内容も悪くない。「水」という存在に対して十分に啓発的であるが、それを感じさせない面白さがある。超撥水加工の皿の上にスポイトで数滴水を垂らす、そしてそれを揺すってみる。ただそれだけのことが面白いのは、水の動きが普段見ている水の動きではないからだ。極めて良質で美しいハンズ・オン展示の数々である。

また些細なことだが、皿からこぼれてしまった水を掃除するモップも美しく配置されている。そういうところ一つ一つに気が配ってあるような展覧会にはなかなかお目にかかれない。素晴らしきデザインの力。

ケータイを積極的に使おうという視点が入っていることも本展の特筆すべき点である。これまで展覧会でのケータイ活用は混雑状況を知らせる程度の印象しかなかったが、本展ではまち全体を生きた博物館として歩いてみようという「ユビキタス・ミュージアム」なるプロジェクトとのコラボレーションにより専用サイトが準備され、会場の展示と連動した企画がウェブ上でも動いている。企画を見る限りプロジェクト自体はまだ発展途上の印象だが、今後こうしたケータイの使い方が増えていくことを予感させる。

視覚による誘導とケータイとの連動。これらのデザイン・センスが教育普及事業において重要となる、そう確信させられた展覧会であった。

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六本木クロッシング

六本木クロッシング:未来への脈動
2007年10月13日〜2008年1月14日
森美術館

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オーディエンス賞で「交差」に参加する。

 面白い作品の点数も揃っていたし、若い作家の力量も垣間見えた。ただ、展示としてのまとまりには欠けている。いっこうに交差の「点」が見えない36組の作品から、来館者は「未来への脈動」をどう感じ取ればよいのだろう。脈動という周期的なイメージよりも不整脈のごとき混沌が、一つ一つの作品の良さを奪っていると感じたのは私だけなのだろうか。

 本展「六本木クロッシング」は『美術手帖』12月号で特集されている。それによると本展は4人のキュレーターにより企画されたらしい。なまじ事前に目を通したのがよくなかったのか、自然と「船頭多くして船山に上る」という言葉が思い出される。本展に関してはなにかと比較されることの多い、東京現代美術館のspace for your future展のほうが展示内容に一本筋が通っていたことは確かだ。作品の選定の基準があまりにも見えてこない。

そんな状況にあっても、きっちりと存在感を示した二人の作家がいた。一人は小品であるが実に緻密な版画を制作する富谷悦子、もう一人は日常に潜む笑いの種を拾い上げる能力に長けた田中偉一郎。この二人が私にとっての「今見たい(見るべき)作家」となった。そう、ここに展示されているのは「今見たい日本のアーティスト」たちの作品である。榎忠や吉野辰海、四谷シモンといったすでになじみのある作家たちの作品を「今見たい」と感じなかったのは、私にとって「今」という言葉に未知なるものに対する期待が含まれているからに違いない。これはあくまでも私の感想。決して榎忠や吉野辰海の作品の質が劣っていたわけではない。

私のように「この作品がなぜ展示されたのか」に引っかかることなくそれぞれの展示品と向き合えれば、混沌の中から好みの作品を数点拾い上げることができるはず。会場はそれだけの多様性を有している。

普段から教育普及事業にも力を入れている森美術館。本展では来館者が気軽に参加できる「オーディエンス賞」が設けられている。会場出口のタッチ・パネル式の端末を操作すれば、「最も印象に残った」作品に一票投じることができる。投票することで展覧会と実際に関わることができるし、来館者が展示を観る上での一つの動機付けになる企画である。ただし、鑑賞の際に少なからず「好き嫌い」で作品を取捨選択することに重点が置かれてしまうのではないかと気になった。「印象に残る」と「好き嫌い」は必ずしも一致しないとはいえ、多くの人は自分が気に入った作品に一票を投じるだろうから。

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仙台芸術遊泳2007シリーズ2

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仙台芸術遊泳2007シリーズ2
光の航跡 Off Nibroll
2007年12月1日〜24日
せんだいメディアテーク

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迫力の大画面による映像体験。

仙台芸術遊泳2007レポート、第2弾。「光の航跡 Off Nibroll」が12月1日からせんだいメディアテークで始まった。

会場を訪れてまず驚いたのが、迫力の大画面。とくに私が訪れたときは貸し切り状態だったこともあり、気持ちの良い空間の拡がりを体験できた。4面の大スクリーンに投影されたOff Nibrollの≪public =un+public≫が圧倒的な存在感を示している。人が鳥へと解体されていく様が印象的な映像作品だ。Off Nibrollは、ダンスと映像を融合させたユニットである。本作は元々2005年に横浜で行われた身体表現と映像によるインスタレーションで、今回はその映像部分だけが流されている。

さらに会場は奥へと続く。こちらにもスクリーン3面を使った映像作品が設置されている。なんとも贅沢な空間構成。ここではちょっとだけ参加型の映像を楽しめる。ハイテクの影絵遊びとでもいおうか、スクリーンに映し出された自分の「中」を映像が駆け抜けていくのだ。あたかも「自分」というものが空洞化してしまったかのような、不思議な感覚が面白い。この他、実写を加工したものが2作品、CG作品が1作品、計5作品ほどを観ることができる。

展示空間を抜きにして映像それ自体の好みをいえば、実写よりもCG作品≪No Direction≫に惹かれた。生成あるいは増殖する草花とシルエットの人が組み合わされた神秘的な作品である。映像中の人影は、植物に何らかの作用を与えているように見えるが、それは単なる幻影にすぎない気もする。それともあれは、植物の中に宿る「人」の記憶だったのだろうか。

 この展覧会は、12月10日までは10:00〜19:00、11日からは12:00〜21:00、と開場時間が変わる。仙台の冬の一大イベント「光のページェント」に合わせての変化である。地域のイベントとリンクした時間設定は「ミュージアムタウン構想の推進」事業としての面目躍如というところか。

なお、せんだいメディアテークはガラス張り。映像の光を味わうためには夕闇が降りてからの来館をお勧めする。

会場風景

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大画面がお出迎え。≪public =un+public≫2005.

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ちょっとだけ参加型。筆者の影を映像が駆け抜ける。

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実写を使った作品。

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神秘的な情景、筆者好みの作品。≪No Direction≫2005.


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会場風景。


Off Nibroll [public=un+public]DVDOff Nibroll [public=un+public]


販売元:日本技芸

発売日:2005/08/04
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鳥獣戯画がやってきた!

鳥獣戯画がやってきた!
—国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌
2007年11月3日〜12月16日
サントリー美術館

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人垣をかき分けて、鳥獣戯画。

 リニューアルオープン後のサントリー美術館を見たいと思い、先日ぶらりと出かけてみた。祝祭が日常のミッドタウンの喧騒の中、自然光のスポットライトを浴びる安田侃≪意心帰≫に触れた後、目的のサントリー美術館へ。

展示空間の印象は、一言でいえば「古さのあるモダン」。開放感がなくどこか古めかしさを感じさせる。もちろん作品保護のために照明を落としていたせいもあるだろうが、1000㎡の床面積のわりにはこぢんまりとしたその様子に少々拍子抜けした。しかし現代美術の森美、なんでもありの巨大展示空間をもつ新美という六本木地区の勢力図を見れば、小さくともハイ・アートが似合う、落ち着いたこの空間こそが棲み分けの点からみても相応しいのだろう。少し大人の美術館、そんなイメージを湛えている。あくまでもそれは展示空間のみの印象であるが・・・。

できれば休日に都会の展覧会は避けたいところ。人垣の向こうに垣間見られる、わずかな戯画。ほとんど鑑賞する気力も失われそうな状態だが、そこは鳥獣戯画。絶妙に動きを表現する筆致の魅力は高い。ユーモア溢れるウサギや蛙の姿に、現在の日本の漫画文化の源流が見える。

この展覧会ではショップの配置が特徴的であった。会場中程に特設の売り場が設けられているだけで、会場を出た後に特別展関連のグッツを買うことができないのである。入り口部分の常設ショップの混雑を緩和するためと推察するが、展覧会を全て見終わってから購入を考えるとなると、会場内をまた戻らざるを得ない(ちなみに再入場はできない)。どちらが購買上の効率がいいのかはわかりかねるが、一来館者の意見としては、会場を出た後でもグッツが買えるとありがたい。


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東北大学の至宝 資料が語る1世紀

東北大学の至宝 資料が語る1世紀
2007年11月2日〜12月9日
仙台市博物館

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大学博物館の行く末は・・・

 近年、大学の生き残り戦略の一つとして大学博物館設立の動きが加速している。この流れと時を同じくして、東北大学でも博物館建設計画が進んでいる。近い将来新設されるであろう総合学術博物館(現在は理学部自然史標本館に間借り)における展示の成否を占う意味でも、開学100年を祝う本展の成果は気になるところだ。

 結論から言って、この展覧会は視覚的な面白さに欠ける。例外は自然史標本館の収蔵資料と河口慧海関連の展示である。考古資料もそれなりに眼を楽しませてくるが、それは既視感のある展示品にすぎない。どこかで見た、そういう印象がぬぐえない。全体としては文献資料が多く、「至宝」といえど眼福は今ひとつ。最高学府として大学が積み重ねてきた業績には確かに目を見張るものがあるのだろうが、それは視覚的に理解するというよりは解説を読むことで理解される。誇らしげに飾られた教授先生たちの写真にも辟易だ。安井曾太郎の≪T先生の像≫も構図の妙に触れられず、ただの似顔絵としてそこにある。

これら300点以上の展示品数を「充実」と捉えるか「過多」と捉えるかは展示品の魅力によるところが大きいが、私には展示品が「多い」と感じたし、分野が多岐にわたりすぎていて散漫な印象もあった。

 もちろん大学のPRという意味では、これでよいのかもしれない。狩野文庫始め貴重な文献が収蔵されていることを学外の人に知ってもらう良い機会となったことは確かである。ただし研究のPRという点に重きを置くのなら、現在であればサイエンス・カフェ等、市民参加のイベントのほうが博物館での展示という形態よりも半歩先を行っているように思う。

博物館に展示されるのは過去の遺物であり、今行われている最新の研究ではない。どうしても過去の研究成果の記念碑的な展示になってしまう。展示の流れや解説文において、東北大学の「今」の研究と展示品とがどう結びついているのか、その点をもう少し明確に語ってほしかった。ミュージアムといえどもブランディングが不可欠の現在、総合学術博物館は自らの魅力をどう人々に訴えていくのか。東北大学の博物館というだけでは、人々を惹きつける展示にはならないだろう。

追記:
新たに大学博物館を建てるよりは、大学全体をミュージアムと見立てたほうがよっぽど面白そうだ。それなら科学館も真っ青の最新機器も「展示」できる。


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芹沢銈介があつめた仮面

芹沢銈介があつめた仮面
2007年10月1日〜12月17日
東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館

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アフリカの仮面が充実。

 芹沢銈介と仮面。このつながりは僕には全く意外だった。「民芸運動のデザイナー」というイメージが強い芹沢だが、彼がプリミティブな造形を好み、仮面の収集に力を入れていたことを今回初めて知った。充実していたのはアフリカやパプア・ニューギニアの仮面である。日本の仮面に留まらない蒐集は、民芸運動からの影響というよりは芹沢自身の興味関心から始まったのだろう。

 観る者は仮面のユーモラスな造形にまず目を奪われるかもしれない。だが、しばし向き合って眺めてみれば、ユーモラスと見えた表情の裏にも得体の知れない迫力が潜んでいることに気がつくだろう。いずれの仮面にも畏怖を感じる。それは彫り込まれたエートスゆえだろうか。これらの仮面、「自由な造形」というよりは、そう成らざるを得ない、ある種の「制約された造形」と感じる。いわば成るべくして成った形。作り手にとってはそれがリアルな世界だった、そう思える。

 展示に関しては、いささか不満な点もあった。明らかにインド・オリッサで信仰されているジャガンナート神を表象したとみられる資料が、ただインドの仮面と記されていたように、国名止まりの表記が多いのが気になった。展示を裏付ける研究が不足しているのではないか、そういう疑念が生じてしまう。情報をどこまで表記するかは館の判断もあるだろうが、それがどこの地域の何という資料であるのかははっきりと示してほしい。図録が出ていない以上、興味を持った人が後で調べるにはキャプションの情報に頼ることが多いのだから。


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仙台芸術遊泳2007シリーズ1

仙台芸術遊泳2007シリーズ1
光と遊ぶ・闇と遊ぶ
2007年11月13日〜25日
宮城県美術館

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文句なしに面白い!

 「五感の都市へ」が合言葉の仙台芸術遊泳。11月13日から12月27日の間、市内外の随所で展覧会やワークショップが繰り広げられる。その口火を切ったのが、現在宮城県美術館で行われている「光と遊ぶ・闇と遊ぶ」だ。

 仙台にも拠点を置く映像集団WOWがまたやってくれた。昨年、せんだいメディアテークで行われたインスタレーション「MOTION TEXTURE」の大成功も記憶に新しいが、今回展示されたのはWOWLAB名義の≪Light Rain≫と≪Tengible≫。

 ≪Light Rain≫はWOWのアートディレクター鹿野護の≪People Forest≫と発想は同じで、投影された映像と鑑賞者が関わることで動きの変化が楽しめるというもの。鑑賞者は落ちてくる光の雨粒を自らの「影」を使って受け止めることができるし、手を動かして波を作り出すこともできる。誰もが楽しめ、誰にも分かり易い。予期せぬ映像の変化は鑑賞者同士のコミュニケーションを生む。そしてなにより映像が美しい。一方の≪Tengible≫には玄人好みの魅力がある。スクリーンを隔てて向こう側には、いくつかの瓶が並んでいる。その瓶のシルエットを基調に、まるで影絵遊びのような映像が投影され、モノトーンのおかしみある世界を作り上げている。こちらも必見だ。

 この他、ICCにも展示がある武藤努の≪Optical Trajectory 2≫、高速回転することで仮想の立体が生まれる松村泰三の≪surface≫シリーズなど十分に眼を楽しませてくれる作品が設置されている。これで入場無料とくれば、行くしかない!

なお、仙台芸術遊泳2007は、先日レポートした「街かど美術館 アート@つちざわ<土澤>advance」同様、「平成19年度芸術拠点形成事業(ミュージアムタウン構想の推進)」(文化庁)として行われている。他会場の仙台芸術遊泳2007についても随時レポート予定。

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街かど美術館

街かど美術館 アート@つちざわ<土澤>advance
岩手県花巻市東和町土澤商店街
2007年10月27日〜11月25日

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「つちざわ」の地力、解放中。

 岩手県花巻市東和町土澤。萬鉄五郎の故郷であるこの地で「街かど美術館」なるアートプロジェクトが行われている。街全体を美術館と見立てるアートプロジェクト自体に目新しさはないが、実際に見学しなければわからないこともある。どのくらいの人が訪れているのか、地元の反応はどうか、そもそも作品は面白いのか。まあ大した事はないだろう、そう高を括っていた。だが、現地に着いた瞬間それが見当違いであることに気がついた。人が多い。活気がある。期待が一気に膨らんだ。

 「街かど美術館 アート@つちざわ<土澤>」は2005年に始まり、今年で3年目を迎える。正確にいえば、2年目の続きと捉えるべきか。というのも、今回の出展作家は昨年の参加作家の中から選ばれた精鋭4人であり、今後は、誰もが自由に参加できる「街かど美術館」が1年目、今回同様の選抜形式で行われる「街かど美術館advance」が2年目、と2年サイクルの運営方針が打ち出されているからである。ビエンナーレやトリエンナーレと異なるこの2年サイクルは、地域住民や美術制作愛好家が「作家」として参加できる余地を残しつつ、アートプロジェクトとしての質も明確にしようという試みであろう。なるほど工夫したものだ。

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まずは萬鉄五郎記念美術館から見学。萬の画業の中でめぼしい作品は東京国立近代美術館や岩手県立美術館などに収蔵されていることもあり、やはり観るべき作品は少なかった。ただ解説パネルに萬の生涯のトピックを描いたイラストが載せられており、これはなかなか面白かった。なお同美術館内に今回の「街かど美術館」の出展作家、渡辺豊重の作品が多数設置されていたが印象は薄い。私としては他の3人の仕事に惹かれた。

 沢村澄子の作品は書。カフェや洒落た居酒屋の壁が良く似合いそうな作品で、室内装飾としても魅力的だ。異彩を放っていたのが鎌田紀子である。彼女の作品は「キモカワイイ」と表現される人形たち。人形本体の魅力もさることながら、彼女はそれが置かれる「場」の雰囲気を捕まえるのが上手い。銭湯での展示が良い例だろう。不特定多数の人間が裸で行き交った銭湯は、いわば日常にある非日常。かつての利用者たちが銭湯に残した情念すら人形に宿るかのようなインスタレーションが出来上がっている。

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沢村澄子の作品。
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鎌田紀子の作品。

 そして松本秋則。その名前はすっかり忘れてしまっていたが、彼のサウンド・オブジェを前にして、以前読んだ本に似たような作品が紹介されていたことを思い出した。2004年に神奈川県立近代美術館で行われた「きょうの はやまに みみをすます」という教育普及プログラムについて書かれた本だったが、帰って調べてみるとやはり彼の作品を使ったものだった。実際に彼の作品を前にすると、このサウンド・オブジェを使おうと決めた教育普及担当者の選択も納得がいく。実に心地のよい音色がする作品で、動きの面白さもある。その集大成が「森永ミルクセンター奥の倉庫」をまるまる使ったインスタレーション。幻想的な空間の演出が訪れる者を魅了する。松本は各所で素晴らしい表現をみせてくれた。

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ミルクセンター奥の倉庫。

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倉庫内、松本のインスタレーション1。

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倉庫内、松本のインスタレーション2。

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他の場所にある松本の作品。

 総じて、「街かど美術館」advanceは、遠方から訪れた者の期待をもしっかりと受け止めるだけの質の高い作品で彩られていた。イベントとしては間違いなく成功であろう。ただアートプロジェクトとしての成否が問われるのはまだ先のこと。現実には過疎が進んでいるようだ。常に行われているわけではないアートプロジェクトは、美術館と異なり集客効果の持続性に弱さがある。とはいえ、「つちざわ」には様々な方向性をもったエネルギーが集まっていた。「つちざわ」に変化を起こそうと尽力する者、作家として「つちざわ」と向き合う者、変化のうねりに引き寄せられる観客、その変化を記述し研究しようとする者などなど。これらのエネルギーは着実に今後の「つちざわ」の変化の糧となるだろう。それぞれの思惑が交差する「つちざわ」から、今後も目が離せない。


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アート・記憶・場所

アート・記憶・場所
2007年10月6日〜11月25日
岩手県立美術館

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概念と表現、求められる高次元の融合

 「アート・記憶・場所」というコンセプチュアルな展覧会が岩手県立美術館で行われているが、一つの作品にとてつもない衝撃を受けた。始めに言ってしまえば、失礼ながらその作品以外、時間をかけて観るべきものはほとんどなかった。コンセプトを全面に押し出したタイプの展覧会は好むところであるが、どうも片手落ちという印象である。ただし、その一点の作品を観るために足を運ぶ価値はある。

 たった一つの魅力ある作品を制作したのは、越後妻有アートトリエンナーレ2006の出展作家でもある、栗田宏一。<SOIL LIBRARY PROJECT/岩手>と名付けられた作品は、岩手県内で採集した様々な場所の土を乾燥させ、正方形の和紙の上に整然と盛りつけることで、私たちが普段何気なく見ている土にも様々な色、個性があることを静かに伝えている。展示において目に見える作家の表現といえば、数ある紙の中から正方形に漉いた和紙を選び、土をその上に正方形に載せること、そしてそれを整然と並べるというだけである。最低限の表現であるが実に美しい。土が持つ本来の色が観る者の心を深く捉える。栗田の作品は、いわば素材の味を大切にする料亭の味。コンセプトを最も明瞭に伝える手段として丹念に表現が切り詰められている。しばらく座って土の個性をじっくり眺めるのがよい。

 他の出展作品について多く語るべきことはないが、共通して気になった点が一つある。コンセプトに対して表現が付いて来ない。どんなにコンセプトを大上段に振りかざしても、表現された結果である作品に鑑賞者を惹きつける力がなければ意味はない。鑑賞者は解説パネルの文章をただ読んでいるようなものだ。それでは作品としての説得力に欠ける。いかに理論で武装しようとも鑑賞者が展示室で向き合うのは作品である。少なくとも私が美術館で観たいのは作品であって、作品の制作背景となった知識ではない。概念と表現の高い次元での融合が求められる。

 それはともかく、「アート・記憶・場所」では企画意図や作家紹介、出品リストを一つにデザインしたパンフレットを配布してくれる。カタログを買うのはちょっとというお客様にとっても嬉しいところだろう。ピカソ展の際には見あたらなかったので独自企画の時に限られるのだろうが、他館では往々にして誠に味気ない出品リストが配られるか、ただ展示室に置いてあるものだ。この他、岩手県立美術館では冊子『aprire(アプリーレ)』の刊行も続いている。後々参照できる配布物にも力を入れる同館の姿勢に私も学びたいと思う。

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上村松園 伝統と近代

上村松園 伝統と近代
2007年10月6日〜11月11日
福島県立美術館

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優美な描写に惹きつけられる

 福島県立美術館で上村松園展を観た。あまり興味はなかったのだが、宮城県美術館で先日まで行われていた日展100年展の余韻も残っていたので出かけることにした。仙台からバスで一時間ちょっと、時間的には遠くない。

 平日にもかかわらず、なかなかの人の入り。お年を召した方が多く訪れていた。上村松園の人気が垣間見られる。確かに絵は美しい。「幽玄」と一言で言い表すのは簡単であるが、それを支える技巧と観察眼を思うと絵に力強さすら感じとれる。展示においても松園の力量を示すため、キャプションに他の画家の描いた同主題の絵を載せていた。その比較が際だっていたのが<蜃気楼>である。比較対象としてあげられたのは蠣崎波響の<夢蛤美人図>。波響の絵では蛤の絵と美人の絵が無理矢理組み合わされたようで観ている方も居心地が悪いが、松園の絵は双方が上手く組み合わされ一つの場面として調和している。写真ではなく実物を用いて波響と松園の比較ができれば嬉しかった。

松園には構図の妙があるが、彼女の描写の魅力はそれだけではない。かんざしや扇子といった小道具も含め、細部に至るまで丹念に描かれている。また薄衣やすだれ等、透ける部分の表現は特に際だっており、それは大作<楊貴妃>に十全に表れている。

ふと隣り合う絵の着物の色や柄が似ていることに気がついた。展示を考える際に配慮したのであろうか、その点も含め作品の順序や配置に非常に気を配られていた展覧会であったように思う。また、この展覧会では下絵が見られたのが面白かった。代表作である<花がたみ>の下絵も展示されていた。修正箇所に新たに和紙を貼り重ね、筆致を修正していく様が見て取れたし、本作と見比べると着物や帯に意匠の変化も見出せた。

 展示以外の部分も満足行くものだった。福島県立美術館では特別展会場内も含め要所要所に休憩所が設けられており、展示室から竹や紅葉に彩られた外庭を眺めることができる。秋の深まる気配を感じながら、優美な描写の松園の絵と向き合う。それは格別の時間であった。

なお常設展では、伊砂利彦という作家の展示が目を引いた。型染めの作家のようだ。ドビュッシーのプレリュードに着想を得た、モノトーンの抽象表現が美しかった。こちらは12月27日まで観られるようである。

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みるみる手をつなごう

参加型アートイベント「みるみる手をつなごう」
2007年10月18日〜23日
八戸市美術館

パレスチナ、世界の子どもとアート

 10月18日から23日の間、参加型アートイベント「みるみる手をつなごう」が八戸市美術館で開催された。展覧会の中核を担ったのは世界の子どもたちが描いた作品であり、私は世界の子どもたちの絵を観る機会に恵まれた。これらの作品はNPO法人パレスチナのハート・アートプロジェクト(代表上條陽子氏)の活動を通じて子どもたちが描いたものである。同団体はレバノンのパレスチナ難民キャンプ他で絵画指導を行っており、本展はその成果報告の意味もある。

期間中には「子どもワークショップ」も企画されており、小学生までを対象に「大きな自画像を描こう!」というプログラムが行われた。このプログラムは同団体がこれまで世界の子どもたちと一緒に行ってきたプログラムと基本的に同じであるとのこと。つまり目の前に展示されている作品と同じやり方で作ってみることができるのだ。その点を意識させるような言葉がけをすれば、展示室の作品を鑑賞しながら子どもたちの興味を引き出せただろうが、残念ながらワークショップは予定が合わず見学はできなかった。私が訪れた時にはすでに八戸の子どもたちがワークショップによって制作した作品も展示された状態であった。

上條氏にうかがった話では、パレスチナでは学校教育(調べてみると学校は国連が運営)のカリキュラムの中に描画や鑑賞は含まれていないということだった。見たことや感じたことを表現できる美術を、戦争の災禍にさらされた子どもたちだからこそ取り入れてほしい。日本から出前でワークショップに赴くことの意義は絵画を教えるということ以上に、絵画を通じて子どもたちと時間を共有することで彼らの世界を少しでも広げることができるという点にあるのだろう。

課題と感じられたのは、子どもたちの作品の管理についてである。子どもたちの作品は厚紙で裏打ちを施されていたのだが、処理に不手際があったのか、だいぶしわが目立ってしまっていた。この点は今後何らかの改善策を検討する必要があるだろう。

会場風景
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難民キャンプでのワークショップの様子が映像や写真で紹介されていた。

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DOTMOV2007Live

DOTMOV2007ライブ・パフォーマンス
2007年11月4日
せんだいメディアテーク

 未知なる才能の発掘と作品発表の機会創出を目的に開催されるデジタル・フィルム・フェスティバル、DOTMOV。11月4日、仙台会場だけの特別企画として、ポスト・ロック・デュオSUBTLEの瀬川裕太氏によるライブ・パフォーマンスが行われた。なんでも「空間でミックスされ聴く人の中で完成する音楽」ということらしい。

なるほど会場には複数のスピーカーが会場を囲むように設置され、そこから少しずつ違う音が流れている。そこに演奏者がギターで音を足し、観客は会場内を自由に移動しながら音を拾っていくという趣向。そうはいっても音楽に疎い筆者のこと、メロディーらしいメロディーがないライブといかに付き合ってよいのか皆目検討もつかない。空間に溢れる音に耳を刺激されても、残念ながら周囲に溢れる音から意識的に音楽を完成させるまでには至らなかった。リズムを感じて身を動かす人もいたようなので、敏感な者は音を楽しめたと見える。

音を音楽にすることは叶わなかったが、DOTMOV2007の出品作品が会場の3面に投影され、映像と音のインスタレーションとして空間を味わうことができた。映像作品の音が本来付されている音ではないのも一興だし、モニターで見るのとプロジェクターに投影されるのではまた雰囲気も違う。DOTMOV2007のオープニング・イベント的な意味合いにおいて成功したといえるのではないか。

ただ会場に椅子が用意されていなかったのは残念だ。観客が移動しながら音の変化を感じることがこのライブの眼目であるとはいえ、1時間半まるまる立ちっぱなしというのはやはり厳しい。中盤以降、壁に寄りかかる者、座り込む者が増えたことからもそれは明らかだ。長椅子等をランダムに配置したり、壁際に休憩スペースを設けるなど工夫があれば嬉しかった。

なおDOTMOV2007自体は、11月1日〜11月14日の間せんだいメディアテーク7階で開催されており、豊かな構想に裏打ちされた映像作品を楽しめる。

会場風景
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動画(約4分半)

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金刀比羅宮 書院の美

金刀比羅宮 書院の美 
応挙・若沖・岩岱から田窪まで
2007年10月1日〜12月2日
2007年12月29日〜2008年1月31日
金刀比羅宮(香川県)

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デザイナー若沖、圧巻の奥書院

 「こんぴらさん」の愛称で親しまれている金刀比羅宮。現在、通常非公開の奥書院が公開されている。『金刀比羅宮 書院の美』、この展覧会は今夏、東京芸術大学大学美術館で開催されていたのだが見逃していたもの。東京の美術館ではなく、本家本元で見ることになろうとは思いもしなかった。金刀比羅宮は展示品が本来そこにあった場所であり、ホワイトキューブでは味わえない「何か」が生まれるはずだ。期待が高まる。

展覧会の体裁としては、表書院、奥書院、白書院、高橋由一館、宝物館の全五会場。五会場全てに入れる共通券を買うと、なんと一般で2000円(学生800円)もかかる。高い、かなり強気の価格設定だ。書院共通券だと1200円なので、多くの人にとってはそれで十分ということになるだろう。

円山応挙作の表書院障壁画は、四面がひとつながりの景色として描かれており、これぞ日本の襖絵という印象である。展覧会のポスターにも使われている水を飲む虎たちは、虎というよりは猫に近い。実にかわいらしい姿である。当時、実物の虎を目にする機会はほとんどなかったわけだし、身近にいる猫からイメージをふくらませたのだろう。それでも私見の限りでは、当時の他の虎図と比べて応挙の虎は上手である。

まあまあという印象の表書院に比べて、伊藤若沖の描いた奥書院は圧巻だった。<花丸図>においては余白の美という考えを捨てたのではないかと受け取れる表現をみせている。襖全面に規則正しく配列された花々は、咲き乱れるというよりも図案化された装飾的な花であり、植物標本のようですらある。明らかに野にある花を描いているのではない。枝振りや花弁の位置など、巧妙にデザインされた花は今見ても全く古さを感じさせない。実に耐久力のあるデザインだ。応挙はじめ当時の画家たちが障壁画に物語のある景色を描いたのに対して、若沖は全く異なるアプローチを採っていたことがわかる。奥書院を観るだけで、この展覧会を観てよかった、そう思える空間であった。翻って考えてみるに、東京でこれを観ていたらどんな感じだったのだろうという疑問が生じた。この空間がいかに再現されていたのか、見逃したのが悔やまれた。

なお、この展覧会はパリのギメ東洋美術館にも巡回することになっている。若沖の障壁画にフランスの観客がどのような反応を示すのか、興味は尽きない。アール・ヌーボーに親しんでいる者なら嫌いではないと思うが・・・。

田窪恭治が制作中の白書院障壁画については、未完成ということもありなるべくコメントは差し控えたい。一点だけ批判的なことを述べるとすれば、壁面に設置された有田焼の青と白の陶板は、書院の雰囲気に全くそぐわなかったという点である。
壁画に期待したい。


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倉敷民芸館

倉敷民芸館
岡山県倉敷市

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バリアフリーが課題

倉敷民芸館は日本民芸館に遅れること約10年、日本で2番目の民芸館として作られた。古い倉を利用した建物は、往時を偲ぶにはもってこいだが、現在では課題も多い。その一つがバリアフリー化である。急な階段に滑りやすい床、高齢者に限らず厳しい環境である。雰囲気を損ねることなく、いかに鑑賞しやすい環境を整えていくか。その作業にも現代の「民芸」の理念が問われることだろう。

訪れたときには、「型」展(2007年9月14日〜12月2日)が開催されており、ワークショップも企画されているようだった。

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大原美術館

大原美術館
岡山県倉敷市

「常設」の贅

 常設展示を楽しめる美術館、それが大原美術館である。日本初の西洋絵画を扱う私立美術館であり、早くから教育普及事業に力を入れてきたことでも知られている。エル・グレコやモネ、ルノワールなどを中心に、民芸運動に関わった作家の作品からポップ・アートまで、収蔵品は幅広い。他館では特別展で目にするような作品が、常設で展示されている。

 ギリシャ神殿風の本館正面は思いのほか小さい。二体のロダンに迎えられ、名画の旅を開始する。大原美術館のコレクションとしては印象派が充実しているのだが、印象派よりはエル・グレコ、ギュスターブ・モロー、モディリアーニなどが好みである。大原美術館の収蔵品の幅広さは多様な好みに応えてくれる。

ふと、学芸員が選んだ「この一点」という作品紹介が目に留まる。児島虎次郎の<ベゴニアの畠>だ。みな熱心に解説文を読んでいる。しばし観察してみると多くの来館者は明らかに絵を見るより、文を読むほうが長い。後ほどHPで確認したところ、「この一点」は企画展(展示期間9月11日〜12月24日)の扱いを受けている。なるほどキャプションではなくパネルとして捉えれば、文の長さも納得がいく。それでも、一枚の作品解説としては少々長すぎる気もした。

 大原美術館には、有名な逸話を持つモネの<睡蓮>がある。・・・<睡蓮>をみた一人の子供が「かえるがいる」と指摘する。もちろん画中に蛙は見あたらない。「どこに?」と問われた子供は「葉っぱの下」と答えたという。・・・この逸話が本当かどうかはともかく、鑑賞教育の目指すべき一つの地平を示す例である。この「かえる」は子供にとって想像遊びによる産物ではない。明確に画中に「発見」された存在に他ならなかったはずだ。子供が絵から受け取る内容や子供にとってのリアリティを大事にする必要性を教える逸話と私は理解している。(大原美術館の教育普及事業については、『かえるがいる−大原美術館 教育普及活動この10年の歩み 1993〜2003』(財団法人大原美術館,2003年)に詳しい。興味のある方はそちらを参照していただきたい。)

他館の特別展のパンフレットなどが置いてある休憩室のようなところに、『大原美術館ティーチャーズガイド』という冊子があった。「手続編」と「活用編」に分かれており、学校の来館実績もひと目でわかるようになっている。デザイン的にはまだまだ改善の余地を感じさせるが、学校との連携を円滑に進める上で不可欠な媒体であろう。


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猪熊弦一郎展

猪熊弦一郎展
2007年7月15日〜10月14日
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

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駅前と美術館

美術館がどこに建てられるかは重要な問題だ。収益を考えた場合はもちろん、それを建てた側の意識が問われるのだから。公立ならばなおのこと。行政にとって美術館がどの程度の重みをもった存在であるのか、それを示す一つの要素が「立地」である。

その点、猪熊弦一郎現代美術館は丸亀駅の目の前にある。駅を出ればすぐ目に留まる、端正なグレーのスクウェアな建物。前庭には赤や黄のオブジェが置かれている。設計は谷口吉生。

仮に美術館がこの場所になければ、丸亀駅前は小さな町のどこにでもある景観の一つに収まっていたはずだ。確かに美術館は周りの景観とは確実に異なり、その異質性をもってこの駅前が「他のどこでもない場所」となっている。市がここに美術館を建てると決めたこと、それは賞賛に値する。欲を言えば、美術館を中心に町が活性化している様子を見てみたい。おそらく市としても何らかの波及効果を期待していたはずだ。だが場所に対する美術館の際だった異質性を鑑みると、その効果はまだ現れていない。

訪れたとき、常設展では猪熊が描いた妻の絵を特集していた。絵と絵の間隔も十分に取られているので、ゆっくりと絵を眺めることができるのが嬉しい。解説プログラムを組むなら、写実よりも抽象の方が与しやすいか、などと勝手なことを考えながら、よくある特別展の喧噪とは異なる常設展の静寂を楽しんだ。
併設のカフェのランチが美味であった。

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エルネスト・ネト展

エルネスト・ネト展
2007年7月15日〜10月8日
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

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柔らかな作品に抱かれる感覚。

 鑑賞者が展示空間に身を任せる。作品と鑑賞者の双方向的な関係、エルネスト・ネトの作品はそれを生み出せる。鑑賞者は関わり方次第で、いわゆる「普通」の鑑賞体験とは一味違う時間の過ごし方ができる。「作品に抱かれる感覚」とでも言おうか、身体全体を通して作品を体験できるのである。

入場に際しては靴を脱ぎ、靴下の裏のホコリを取るように言われる。たしかに、これを怠れば、展示期間を通じてネトが作り出した白の世界をきれいに保つことができない。とくに白は汚れが目立つし、汚れていては清潔感を欠く。全ての人が展示空間を心地よく楽しむためには必要な配慮といえる。

布で覆われた作品内部は穏やかに白く光る。クッション性のある床や壁も同様に白く、ところどころにほのかに淡い色が添えられている。物理的にも視覚的にも非常に柔らかい空間が構築されている。その空間は、入った者を温かく包み込み、ぬくもりを感じさせる十分な表情を与えられている。腰を下ろし、ゆっくりと天井を眺める者、大の字に寝そべる者、この空間の過ごし方、楽しみ方は様々である。共通しているのは、普段より時間が少しだけゆっくりと流れていることかもしれない。ここでは不思議と人の動作も穏やかになるようだ。

大人にとってゆっくりとした時間が流れる空間も、小さな人にとっては最高の遊び場となる。私が訪れた当初、小さな団体によって空間は賑やかに演出されていた。彼らは難しいことは考えず、十分に空間を満喫していた。そして、それは非常に正しい。彼らが存分に楽しめる懐の広さもこの空間の魅力なのだ。だが、皆がそれを快く思っていないこともまた事実である。ロビーにネト展の感想集が置かれていたが、その中にはいつから美術館は子供の遊び場になったのか、というような批判的なコメントもあった。本展の作品の性格を鑑みると、この種の批判が出ること自体、作品への理解を欠いているように思うが、当人にとっては不快な鑑賞体験になってしまったのだろう。それはそれで残念である。パネル等で作品についての館なりの解釈を予め添え置くことでそれが回避されるなら、美術館と来館者どちらにとっても幸福な結末になっただろう。

私にとって展示空間は終始心地の良いものであったが、想像していたよりも小さかったのが残念だ。奥行きがないという印象がある。裏を返せば、もっともっと続いていて欲しい、それだけの感覚を与えてくれる空間と言えるのだが。

作品の外側では、制作の様子を映した映像をみることができた。写真が一秒ごとに変わるスライドショーの形式で、素材はカタログに掲載されていたものが含まれていたように思う。ほぼ一週間に渡って徐々に空間が構築されていく様子とともに、作家やスタッフの表情にもせまる作りであった。ただ何分の映像なのか題箋があれば、より親切なのは間違いない。

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フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展

フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
2007年9月26日〜12月17日
国立新美術館

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一点豪華展示の<牛乳を注ぐ女>

 アムステルダム国立美術館所蔵のフェルメール<牛乳を注ぐ女>(あるいは<ミルク・メイド>)を日本で見る。この幸運は、アムステルダム国立美術館の改装によって実現した。もっとも私の目当てはヤン・ステーンのほうだが。

さすがにフェルメール、平日でも人が多い。注目のフェルメールは一区画に一作品という「一点豪華展示」の待遇を受けていた。順路が設けられている様は、今春、東京国立博物館で行われたダ・ヴィンチ展を彷彿させる。どこからか「なんだフェルメール、一点しかないのか」という声も聞こえたが、そればかりは仕方ない。そもそもフェルメールの作品は多く残っていないのだし、館にとって絶大な観光資源となる一枚なのだから、おいそれと貸し出しはしない。

さて、肝心の<牛乳を注ぐ女>であるが、小さい作品の上、結界から距離があるために、実に遠くからの鑑賞となる。本物が目の前にあるのだが、近づけず細部まで観ることができない。フェルメール目当ての人は単眼鏡を持参することをお勧めする。そうはいっても、順路をゆるやかに進みながらの鑑賞となるので、立ち止まってじっくり眺めるというわけにもいかないのが辛い。

フェルメールを見る部屋の前では3分ほどの映像が流されていたが、この映像、以前NHKでやっていた『世界美術館紀行』と同素材であった。気付いた人も多かったのではないだろうか。映像のほうが細部まで観ることができるのは、仕方のないことだがもどかしい。作品を知るという意味では、X線や赤外線調査のパネル写真が興味深い情報を与えていた。普段見ることができない部分に光を当てる。自分としてもそういう解説を心がけたい。

フェルメール、フェルメールと書いてきたが、この展覧会はフェルメール頼みというわけではない。展示室を見渡してみる。すると、パンフレットや告知には「オランダ風俗画」とだけ書かれていても、この展示が風俗画中に描かれた「女性」の姿を執拗に追っていることに気づく。とすれば、<牛乳を注ぐ女>は極めて適切にアイコンとしての機能を背負っている。卵が先か鶏が先かは分からないが、展示構成に一本筋が通っており、有名作品に「おんぶにだっこ」の企画ではない。17世紀のオランダ絵画の黄金期から19世紀後半まで、観る者は絵画と銅版画に描かれた「女性」の変化を知ることになる。

本展ではヤン・ステーンに代表されるが、17世紀は画中の人物・事物に「寓意」を読むことができる。それは現実を写実的に表現しただけではなく「作られた構図」であることを意味しているが、展示に従えば、時代が進むとその寓意は消えゆくらしい。フランスの侵攻によって黄金時代は終わりが告げられ、19世紀を迎えると、近代化あるいは機械化という社会の大きな変化がある。それによって、農村に対する憧憬的描写が生まれていき、女性像にも「理想化された農村」が反映されていくのが面白い。これまで19世紀のオランダ絵画にほとんど目を向けて来なかったこともあり、勉強になった。

なお会場には画中に登場する楽器や工芸品の展示もある。とくに楽器はオランダの室内を再現した展示スペースに置かれており、雰囲気を高めている。

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オープン・スペース2007

オープン・スペース2007
2007年4月19日〜2008年3月9日
NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)

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無料で一日中楽しめる

 「メディア・アートって面白い!」、ICCに来れば誰もがそう思うだろう。参加者が触れたり、操作したりすることで機能する作品たちは難しい理屈抜きに楽しめる。もちろん、ただ楽しむだけではなく、作品に対する新鮮な驚きは、それらを支えている技術や発想に対する興味を否応なく高める。デジタルとアートの理想的な融合がここにある。

なかでも特に面白いと感じたものをいくつか紹介しよう。まずは視覚的な驚きが強烈な印象を与えるグレゴリー・バーサミアンの<ジャグラー>。オレンジのワイヤーフレームの人形がジャグリングをしているように見える作品である。アニメーションの原理を単純だが効果的な方法で体感させてくれる。

長い作者名が特徴的な、橋本弘太郎 dpa project 科学技術振興機構(JST)東京大学<Sharelog>は、SuicaやPASMOをかざすと移動履歴が画面上に表示されるというものである。先に読み取られた他人の履歴が色違いで表示され、移動履歴によるある種一回限りのコラボレーションが生まれる。作品自体に派手さはないが、基本にある発想が非常に興味深い。

中居伊織の<streetscape>もコンセプトに共感できる作品だ。ある場所の道筋が刻まれたボードをタッチペンでなぞると、その街の道ごとの音を聞くことができる仕掛けである。大きな道は騒々しく耳障りな音で溢れる一方、小さな路地にも普段は聞き逃しがちな音があることを知る。街から他の要素を取り払い、「音」だけを味わう体験はなかなか得られない。そこから普段とは違う考えも生まれてくる。

展示作品はどれも甲乙付けがたいが、私にとっての一番となると、minim++の<KAGE>である。床から生えた「角」をつかむと影のように映像が表示される作品で、そこに作品と人とのやりとりが生まれる。表示される映像はそれぞれの「角」によって異なり、時間的にも短いため、何度でも触ってみたくなる。また影は床面だけでなく壁面にも投影される。タイドプール(潮だまり)で魚や貝を眺めて遊んでいるような、不思議な感覚を得られる素敵な作品。

また「階段を上がる」という何の変哲もない運動を喜びへと変える、音の出る階段<ゲイナーカイダン>も楽しい。本当に下手な遊園地よりも楽しめる、そんな場所が無料というのもすごいことだ。友達と一緒に訪れて、ただ観るだけではないインタラクティブ(双方向的)な作品たちを思う存分楽しもう。

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メルティング・ポイント

メルティング・ポイント
2007年7月21日〜10月14日
東京オペラシティ・アートギャラリー

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あなたは作品と融合できましたか?

 本展「メルティング・ポイント」は、ジム・ランビー、渋谷清道、エルネスト・ネトによるインスタレーションで構成される。私なりに各作品の特徴を言い表してみよう。ランビーは「派手」、渋谷は「静謐」、ネトは「温和」である。これぞ現代美術という作品たちは、観る者の期待を裏切らない。

展覧会名にこめられた意味は、次の通り。「メルティング・ポイントとは、<融点>を意味する言葉で、固体が融解し、液化する温度であるとともに、固体と液体が共存する瞬間でもあります。異なるものが同時に存在する場所であり、作品が空間や人に作用し、変化していく様子を象徴的に表しています。」

色彩が特徴的なランビーのインスタレーションでは、融解を視覚的に感じ取ることができる。規則性のある床面の上で不規則な融解を起こす絵具。強烈なインパクトであるが、これはある意味わかりやすい。作品と鑑賞者の融解を誘発するという意味では、渋谷とネトのインスタレーションの方により強い働きかけを感じる。

渋谷の展示空間に入る前、まず靴を脱ぐことを強いられる。茶室の躙り口のような「入り口」があり、姿勢も強制される。ただ、その「入り口」をどのように抜けるかは訪れた者の自由である。身体感覚が刺激され、ちょっとした作家気分でパフォーマンス。身体を動かしながら展示室を移動する。展示室にはそれが許される雰囲気がある。さらに奥へ。

ネトのインスタレーションはどこか温かい。ストッキングの生地のような巨大な布が2枚、その間を有機的な柱がつないでいる。布にはところどころに穴があり、そこから頭を出して覗けば知らない人と「こんにちは」の状態になる。友人曰く、「モグラ叩きのモグラの気分」。たったこれだけの仕掛けだが、面白く、そして温かい気持ちになるのはなぜだろう。本展には「ナビゲーターによる対話型のギャラリー・クルーズ」の日が設けられている(日程要確認)。参加できればきっともっと楽しくなるはずだ。

3人の質の高いインスタレーションによって展示室がいい雰囲気、遊べる雰囲気を生んでいる。現代美術によって研ぎ澄まされた空間で、感覚を解放する心地よさを堪能できる。この展覧会、行って損無し。

余談であるが、本展ではパンフレットとカタログの表紙が出展作家ごとに三種類準備されている。自分の好みの作家を選べるよう工夫されているのが嬉しい。

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ジム・ランビー版

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渋谷清道版

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千總コレクション 京の優雅

千總コレクション 京の優雅
〜小袖と屏風〜
2007年9月14日〜10月21日
仙台市博物館

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京都の美、日本の美

 創業450年、京の染織業の老舗千總のコレクションから成る展覧会が始まった。友禅染の小袖ではさほど興味が沸かないかと思っていたが、そんなことは杞憂であった。素晴らしく、美しい。展示室に入って、まずその色彩とデザインの豊かさに圧倒された。友禅染裂の展示である。意匠には美しさだけでなく、遊び心もみられる。「座敷尽し」といって、部屋(座敷)を連ねて模様にしているものなどが良い例だ。

おそらく私の人生の中で小袖など着る機会はないだろうが、見ているうちにデザインの好き嫌いがはっきりしてくる。自然と「着る」ことを前提に見ている自分がいる。服とはそういうものだろう。その結果、自分は全面にデザインがある柄物は好きではなく、余白を感じるあまりうるさくないデザインが好みのようだ。そして動物の図案よりは植物のほうが良い。少し前に某局で美術館の楽しみ方を取り上げた番組があった。そこでは「買うつもり」での鑑賞を提案していたが、本展ではさしずめ「着るつもり」での鑑賞が面白い。これは女性のほうがより楽しめるのではないだろうか。

屏風始め、絵画が充実していたのもよかった。京都の大店は祇園祭りの際に店先に屏風を飾る風習があり、昔は贅を競ったとされる。有名なところでは円山応挙だろう。また友禅の下絵も多く観ることができる。訪れる前は着物に対して絵画が弱いのかと思っていた。たしかに実際の点数では小袖が多いが、印象では半々といったところだ。

綺麗なだけでなく面白い絵が一点、記憶に残っている。それは西洋の寓意画ないしヴァニタスを思わせる作品で、片方に頭蓋骨と月、もう片方に舞妓に桜を描いたものである。海外の美術館を訪れるとこの種の図案が宗教画の扉絵として描かれているのをよく見かける。日本に昔からこの2つを対として描く伝統があったかどうか、真相はわからないが、もしかしたら西洋の銅版画などから想を得たのかもしれない。時代が明治初期だとすればその可能性もあるだろう。

さて、この展覧会にはぜひ着物で訪れたい。着物割引が設定されていて200円安くなる。会場にも着物のお客様がお見えであった。着物を着る手間を考えると割引額が安いかどうかはわからないが、展覧会に花を添えることは間違いない。

今回の特別展にあわせて、プレイミュージアムでは紙のパタパタを作る企画が催されている。屏風の構造との関係からだろう。どこからか「懐かしい」という声も聞こえてきた。人気が出そうな企画である。

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閑話休題08

閑話休題08
映画『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』

 グッゲンハイム・ビルバオ(スペイン)を建てたことで知られるフランク・O・ゲーリー。本作は、彼との対話によって構成されたドキュメンタリーである。監督は友人であるシドニー・ポラック。

ゲーリーの手によるグッゲンハイム・ビルバオは「彫刻的建築」と評される。銀色の船とも塔ともつかぬ建物は、どのような発想を経たのであろう。映画を通して、その一端を知ることができるのは幸運だ。ビルバオを訪れたことはないのが悔やまれる。ゲーリーの活動は今や建築に留まらない。家具や宝飾デザインもこなす。本作のスポンサーがティファニーであるのも、コレクションを展開している関係から。

性格の問題もあり成功までには苦難があったようだが、良いカウンセラーとの出会いが彼を徐々に変えていったことがわかる。個性的な美術館を建てた者は家もまた個性的である。造形は不規則であり多面的だが、光が良く入る。

題名にもあるように、彼の「スケッチ」は極めて特徴的であり、本作でも見所の一つであることは間違いない。誰にも判別できそうもない、スピード感のある入り組んだ線。出来上がる建物とは一見まるで別物だ。しかしフランク・ゲーリーという建築家にとって、それらは確かにつながっている。彼自身の話によると、小さい頃彼のスケッチを見た占い師が有名な建築家になると予言したというほどだ。

なんといっても、彼がいかに自分の建てたものに対して愛情を注いでいるかが伝わってくるのがいい。言葉だけでなく、その表情、仕草からも。派手さがない、静かな映画であった。

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スピリチュアルな考古学

スピリチュアルな考古学
−祈りと愛のかたち−
2007年7月20日〜9月17日
地底の森ミュージアム(仙台市)

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スピリチュアル・ブームへの迎合

 地底の森ミュージアムは、2万年前の氷河期の森とそこに残された生活の痕跡を売りにしている。太古の木が折り重なって黒いシルエットを浮かび上がらせる様はなかなか壮観だが、今回の目当ては常設展ではなく特別企画展のほうである。

題名からして昨今のスピリチュアル・ブームに乗った企画であることは明白である。それを批判するつもりはない。どのように展示に反映させているのか、大方の見当は付くが、実際のところを確かめておきたかった。

結論から言えば、古代(展示品には平安時代の遺物も含まれている)は現代よりも目に見えないものへの畏敬の念があった、という予想通りの展開であった。スピリチュアル・ブームの実情に詳しい訳ではないが、昨今言われている「スピリチュアル」と彼らの祈りの心情を同列に語ることには抵抗がある。そこにはかなりの隔たりがあるのではないか。一つには「個人」という概念が導入されたことが大きい。彼らの祈りや畏怖は共通認識たる世界観に支えられたものであるが、現代社会における「スピリチュアル」は「癒し」という個人の問題に帰する側面が強い。この2つを見比べることに意味を見出すなら、単に昔のほうが霊的なものとの関係が深かったと結論づけるだけでは物足りない。もちろん、いろいろな見方があってよいが、「個人」としてはあまり納得できない展示内容であった。

ただ一つ勉強になったのは「〜だったのかもしれません」、「〜だったのでしょう」という言い方を多用してはいけないということだ。語尾が断定的な表現でないと説得力に欠ける。なお、会場には勾玉作りのコーナーが設けられていた。

追記
パンフレットの絵、展示にはなかったのだが、いったい誰が描いたのだろう・・・。

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ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展

ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展
〜アリス、あるいは快楽原則〜
2007年8月25日〜9月12日
ラフォーレミュージアム(ラフォーレ原宿6F)
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幻想の博物誌家

シュヴァンクマイエル展をみた。シュヴァンクマイエルは、熱狂的ファンをもつチェコの映像作家である。場所はラフォーレ原宿。来館者層は当然のごとく若い。本展は彼の代表作である『アリス』の世界を主軸に、彼のドローイング、立体作品を展示している。展示品の選定はシュヴァンクマイエル本人が行ったという。

シュヴァンクマイエルといえばコラージュの手法で知られているが、生物のコラージュ(あるいはキメラ)ともいうべき「博物誌」のオブジェ群が、展覧会の導入になっている。骨や剥製、木などが継ぎ接ぎにされたオブジェにより誕生する架空の生物たち。彼の独特の世界観が、観る者を惹きつける。幻想の博物誌家、そんな言葉が浮かぶ。図鑑には存在しない生物が彼の頭の中に確かに存在したようだ。そのほか、アルチンボルドの連作四季<夏>を引用したものや、17世紀の版画に着想を得たドローイングを観ることができる。

倒木を赤ん坊に見立てたような人形があった。<オテサーネクの人形>である。これも「継ぎ接ぎ」してあるのか、題箋からはわからなかったが、よく見つけてきたものだ、と感心する。魔物の子供のようにすら思える、なんとも不気味な木の人形。人形たちの中には彼の映像に登場したものもあるというが、映像作品を見ていた者はそのことも楽しめただろう。不幸にも私は元の映像を見逃している。この木の赤ん坊も動いていたのだろうか。

展示品もさることながら、展示の方法にも見るべきところがあった。中が見えないように覆ったアームサックが壁にかかっている。手を入れてみて中の感触を確かめることで「触覚」を解放させる仕掛けだった。となりの解説文にはガラスも中に入っていると記載されているので、恐る恐る手を入れてみる。自然と感覚が鋭敏になる。またハンズ・オンでぱらぱら漫画の動きを実際に試してみることもできる。シュヴァンクマイエルによる『人間椅子』のための絵が動く。やはり手にとって見られるのは面白い。

シュヴァンクマイエル自身にとっても「触る」ということが重要な意味を持っているようである。なるほど「触覚」はエロティスムという快楽原則にとって大きな要素である。しかしそれ以上に、視覚に囚われずに世界を知覚するための手段が、彼にとっては「触覚」だったのだろう。展示においても触覚主義が謳われている。

シュヴァンクマイエルの膨大な作業量を感じさせるコマ撮りの映像の中で、「触覚」に対する意識はどのように活かされているのか、本展によって新たな視点を得たように思う。

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奥州一宮 盬竈神社

奥州一宮 盬竈神社
しおがまさまの歴史と文化財
2007年8月9日〜9月24日
東北歴史博物館

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文献が多かった

 塩竈神社は、留守氏、伊達氏始め、東北の武将たちに厚く保護されてきた。とくに伊達家の第4代綱村は、神社の造営と調査を命じ、今日の社殿の形を築いたとされる。塩竈神社にまつわる歴史資料を一堂に会し公開したのが、本展である。

今回の展覧会は、「文字」を観て帰ってきた印象が強い。博物館らしい展示である。書き下し文がないので史料を一瞥し、キャプション(解説文)から情報を得る。「観る」よりは「知る」喜び。絵画は少ない。視覚に訴えるものに、塩竈神社の神事を映した映像があった。普段あまり見ることがない神事の様子が見られた。ただ、何分の映像なのか、表示がなかったのは設置の際の改善点。

途中、太刀が充実していた。しかし、飾り棚が明るい水色に塗られており、刀が持つ凜とした表情、鞘の装飾の雰囲気とそぐわない。なぜ水色を採用したのだろう。展覧会が水色を基調にデザインされているわけでもない。以前の円仁展でも感じたことだが、展示の内容には力を入れていても、見た目の美しさにはあまり気が配られていないように見受けられる。

教育普及の企画もある。「フォトギャラリー「一森山」」は、来館者が参加できる写真展だ。私の好きな一森山、家族で行った一森山、というテーマで塩竈神社の境内で撮影した写真を会場外のロビーにパネル展示してくれるというものである。来館した後で塩竈神社を訪れなければならないというところがネックになっているのか、会期一ヶ月経って、展示されている写真は10枚もなかった。寂しい状態である。会場とは別の場所に足を向かわせるという意味では、ハードルの高い企画であったのかもしれない。

残念なことに、送られてきた写真の展示の仕方が全く考えられていない。数が少ないなら余裕をもって展示できるはずなのに、数が増えても張り替える必要がないように考えてか、片側に詰めて貼っていた。これでは余白が目立ってしまうし、作品としてちゃんと扱われている感じがしない。「写真を送ってみるか」という気にさせる見せ方も大事になるだろう。

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閑話休題07

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閑話休題07

『美術検定 1・2級受験のための美術実践講座キーワード
これだけは知っておきたい88』美術出版社,2007年.

少なくとも、このくらいは

 以前、このブログで美術検定について批判的なコメントを書いた。今回は、それに関連した話。少し前になるが、その美術検定の受験参考書が登場したのである。なかなか役に立ちそうな本だったので紹介したい。

 この本はアートナビゲーター検定の過去問集ではなく、関連知識のキーワード辞典となっている。そのため、美術検定を受ける者以外にも広く役立つ内容になっているのが嬉しいところ。ミュージアムで働きたいと思い始めた学生や、アートプロジェクト等に興味をもった人がまず参照するのに適している。一言でいうと、「少なくとも、このくらいは押さえておきたい」という知識が集められている本である。

 88のキーワード毎に大まかな知識を与えることが目的となっているので、興味をもったら巻末の参考文献リストを基に、さらに理解を深めていく必要がある。ただし、その参考文献リストが物足りない。過去の問題作成者から提出してもらったリストを基にしているようだが、博物館教育と美術館建築に関する書籍がとくに手薄な印象。もっとも芋づる式に読みあさっていけば、いずれは辿り着くのかもしれないが・・・。

 文中でとくに押さえておきたいのが、現状での課題や論者の見解が書かれた箇所である。例えば、「公募展」の項では、作品を美的な判断で批判するだけでなく、生涯学習という視点から捉え直してみる必要があると論じられている。こういう部分が随所に見られるのが本書の良いところである。おそらく検定の際には、これらの現状分析と見解を暗記しておくと点がとれる仕組みになっているのであろうが、こういう本が一冊あると助かるもの。検定制度の是非はともかく、便利に使えるありがたい副産物が出てきたことを素直に喜んでもいいだろう。

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もとまちアート海廊

もとまちアート海廊(ウォーク)
2007年7月1日〜8月10日
宮城県塩竃市本町通り商店街一帯
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アートプロジェクトの難しさ。

 塩竈市本町通り商店街を舞台に、もとまちアート海廊が行われた。一度足を踏み入れると、商店街の活性化が切実な問題であることがわかる。すでに街の機能は別のどこかに移りつつあるのだろう。

アート海廊の中心になるのが、廃銀行を利用した「美術計画」というプロジェクト。美術計画自体はアート海廊のために立ち上げられたものではない。「・・・と、ある場所の記録」をキャッチコピーに県内各地の利用されなくなった場所を舞台に展覧会を行っている。忘れられた場所にもう一度なんからの気配を生じさせるという美術計画の活動は非常に面白い。ただ、その場所が活かし切れていないという印象も同時に受けた。そこでなければ作れない、そこにしかない、そういう作品に出会うことができなかったことは残念だった。コンセプトに対してコンテンツが弱いと言うべきか。

同じ廃行内で上映されていた映像作品と高校生の作った段ボールのガンダムのほうに私は魅力を感じた。映像作品は金庫室に設けられていた。シルエットとして映る人、空を行く雲、あるいは街の「日常」の景色。記憶の中の「ある日の風景」とでも呼べる光景がつぎはぎされた作品で、これはなかなかに見ていられた。
 
段ボールで作られたガンダムは天井に届きそうな程の大きさである。それが計4体。よく作ったなあという感想だ。ただ、これは美術なのか、そう疑問を呈する人もいるだろう。なるほど主題は既成のキャラクターにすぎないし、独自の表現があるわけでもない。工作と言ってもいい。しかし、手のかかり具合で言えば、美術計画の作品と見比べても遜色はない。というより、美術計画の中でこのガンダム程に手がかかっている作品は少ないのではないか。かけた時間と労力のみで判断はできないが、存在感はある。

 アート海廊自体は前述の美術計画の他、各商店が「作品」を出展している。そのため商店を渡り歩くことになるのだが、そこにはいわゆる美術作品として観ることができるものはほとんどない。商店街の中に眠っているアートを呼び覚まし集客の力にしようという意志はひしひしと伝わってくる。だがそれゆえに、アートプロジェクトにおいて純粋に「鑑賞者」として商店に足を踏み入れるのは難しい。購買を期待される「来店者」として、ある種のプレッシャーが付きまとうのだ。

ある「場所」への注意を喚起するという意味では、作品が作品としてそこに存在する必要はなく、ただイベントを行えばよい。しかしプロジェクトがアートを手段とするのであれば、作品自体に力がなければ人を惹きつけることはできないのかもしれない。そのあたりにアートプロジェクトの難しさが見え隠れする。


続きを読む "もとまちアート海廊"

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日本彫刻の近代

日本彫刻の近代
明治期から1960年代まで−日本彫刻100年の歩み
2007年8月7日〜9月17日
宮城県美術館

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彫刻の魅力、再発見。

 普段あまり意識されることはないけれども、駅や公園など、彫刻は私たちの身の回りに確かに存在する。この展覧会を観た者は、それまで「地」として通り過ぎていた彫刻を「図」として意識し始め、ふと足を止めることだろう。

 本展では、日本が近代国家の看板を掲げた明治期から1960年代までの彫刻作品が時代に沿って展示されている。つまり、日本彫刻の近代史(あるいは彫刻史そのもの)を展示室の中に再現してみせるという試みだ。佐藤忠良記念館を有する宮城県美術館において、それが行われるということも本展の意義を深めている。

 展示室の順路が普段とは逆に設けられていた。入り口すぐのところに旭玉山という人物が作った<人体骨格>なる模型が展示されている。小さな骸骨が椅子に座っているのだが、実に精巧でなんともユーモラスな姿だ。明治にこんな面白い物があったのかと驚いた。材質は鹿の角である。今回の展覧会はキャプションに素材の表記がなかったが、出品リストから素材を調べることはできる。ただ、作者は彫刻作品としてこれを作ったのだろうか。学校の理科準備室に置かれているものとは何が違うのだろう。これを彫刻と呼べるのか。少しわからなくなる。

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彫刻というジャンルほど「日本」と「人間」という意識と格闘してきたものはなかったのではないか。展示を観るとそう思える。この2つがとにかく意識されてきたようである。それは「彫刻」が他所からもたらされた全く新しい概念だったからだろう。なるほど仏像や偉人の像は作られてきた。ただし、それは宗教的な像であって美術ではなかった。そこに西洋から「美術」という概念を構成する一つの領域として「彫刻」がもたらされる。大きな揺らぎがあったはずだ。

「日本」と「人間」、この2つが共に意識されている理由は明確だ。これらは西洋に対する二種類の反応である。西洋という「他者」の存在が大きくなってくると、日本という「自分」が意識される。そこに「日本」とは何か、という問いが生じる。ある時は国家がそれに対する解答を誘導し、ある者は伝統的な木彫りの技に取り組むことで「日本」を見つめてきた。

その一方で、そのとき西洋の根幹にあったヒューマニズムを理解するために「人間とは何か」を突き詰める。こちらはロダンに倣った、ロダニストの表現にみることができよう。彼らの表現は思想への共鳴でもある。他者を理解しようとする心の動きと、翻って自己を眼差す心の動き。どちらも私たちが初対面の人と向き合ったときに起こる素直な反応である。

展示室に展開された彫刻史を眺めていくと、戦争の影響を重く受け止めざるを得ない。直前の大正期の表現はキュビズムの影響もあり非常に豊かである。仮に日本が戦争へと向かわなかったら、どんな面白い表現が出てきたのだろうか。そう予感させるに十分な内容であった。戦争は表現をがらりと変えてしまった。展示の最後を構成する抽象彫刻もまた同様に、彫刻史の一部として眺めたときに初めて気づくことがある。表現としての面白さのみならず、作家たちがなぜそういう方向へと向かっていったのか、それを少しだけ理解できたように思う。

駅前でいつも見かける彫刻を、次からはきっと少し違う目でみるだろう。そう思えるだけの豊かな時間を過ごすことができた。

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この展覧会に併せて、宮城県美術館は「身近な彫刻を探そう!彫刻探検隊」というワークショップを行っている。計4回の開催で、最後には「彫刻判定会」なるものも開かれる。前述のように、この展覧会を観た者は彫刻に意識的になるはずであるが、プログラムを通じて意図的にそうした気持ちを生じさせようということだろう。パンフレットの写真にもあるように、街に彫刻は溢れている。

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柳宗悦と東北の民芸

柳宗悦と東北の民芸
2007年8月3日〜9月2日
仙台市博物館
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「民藝」から「民芸」へ

『柳宗悦と東北の民芸』、本展は宮城民芸協会設立40周年を記念して行われた。展覧会の会場に行くまで、私は数年前山形美術館に巡回してきた『柳宗悦の民藝と巨匠たち』という展覧会と混同していたため、また同じものをやるのか、と思っていた。改めて見直してみても、展覧会の名前は別にそれほど似てはいない。単に、柳宗悦と民芸という分かち難い関係に対する強固なイメージが、私の中では2つの展覧会をもはや「同じもの」としてしか認識できなくなってしまっていたのだろう。

些細なことかもしれないが、「みんげい」の表記が変化していることが気になった。ここ数年の間に、ある種神話的ですらあった「民藝」という言葉が、一般的な「民芸」へと書き換えられている。「藝」は柳自身が固執した言葉といわれている。民芸協会主催のこの展覧会における表記の問題は、背後にある思想的な変化の一つの表れなのかもしれない。

 さて展覧会は特別展ではなく企画展という扱いで、一部屋だけのこぢんまりとしたものであったが、なかなかの印象である。すでに言い尽くされているとしても、やはり柳の仕事の価値は大きい。当時まだ「発見」されていなかった民具に美を見出し「民藝(民衆的工藝)」という概念を与えたこと、失われるはずの農村の民具を収集し保護したこと、それらのために美術館を建てたこと。柳宗悦という個性なしには、いずれも成し遂げられなかったであろう。今こうして展覧会を通して、消えゆく運命にあった品々と対面できるということは幸福なことだ。

展示品の中で、今回最も心惹かれたのは<背当て>である。彩る装飾の美しさ。鮮やかな色遣い。アンデスやアフリカの民族美術にも負けてはいない。それぞれに自分なりの意匠が施され、農村に確かに存在したであろう美意識を感じさせる。今回、精巧な技を誇る刺子の類も多く展示されていたが、色の配置と意匠性では<背当て>が勝っていたように思う。

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 側に置かれていた柳の文章には、作る者と着る者が同じであることに対する彼の尊敬の念が記されていた。それに私も賛同したい。現在、自分は何を作ることができるだろう。彼らは自分たちのことを芸術家とは称さなかったが、優れた芸術家であったことを感じさせる品々であった。もちろんこの展覧会に出ている品々は柳の眼を通した取捨選択の結果であり、必ずしも農村の実態ではなかったとしても。

焼物、編組、刺子、木漆工、そして数は少ないが金工までを網羅した展覧会は、なかなかの内容であった。しかし展覧会から思い巡らされることは、必ずしも晴れやかなものではない。民芸はいつになったら柳宗悦という個性とその世代から逃れられるのだろうか。それは不可能な、あるいは人によっては不必要な問いなのかもしれない。そろそろ没後50年を迎えようという今日、柳宗悦と民芸という分かち難い関係に変化は訪れるのだろうか。その問いが心のどこかで燻っている。

追記
プレイミュージアムでは「紙帯で作るイタヤ馬」というイベントが行われていました。イタヤ馬とは、秋田近辺で作られていた子供の「おもちゃ」。けっこう人気があるようでした。
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閑話休題06

『ACACアートの森 体験学習BOOK』
国際芸術センターAIR実行委員会,2007年.
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教育と普及の関係を考える

「本書では、これまでACACに滞在した世界中のアーティストたちが行ったワークショップ、また経験豊かな自然環境を活かした造形教室、自然観察など、ACACでしか体験できない多くのワークショップを紹介しています。遠足、体験学習などの場として、「ACACアートの森」をぜひご活用ただきたいと思っております。」(序より引用)

 この『ACACアートの森 体験学習BOOK』の意義を、簡潔に言い表すならば、「これまでの成果に立脚した普及活動」が相応しい。その意味において、この本は2つの役割を担っている。1つは、これから施設を利用するかもしれない学校教員に対するセンターのPR。中を見ればわかることだが、それぞれのワークショップにはおおよその定員と時間、そして対象年齢と目的が記されている。いうなればワークショップのカタログだ。教員はこれを元にワークショップを「注文」できる。

 もう1つの役割は、センターにおけるアーティスト・イン・レジデンスの成果報告。紹介されているワークショップには滞在アーティストにより生み出されたものがいくつかある。つまり、自分たちはこんな活動実績がありますよ、というアピールにもなっているのだ。言うまでもなくアーティスト・イン・レジデンス事業では、地元の人々の交流が重視される。その一つの形が子供たちとのワークショップである。

 この本を手にした者は、国際芸術センター青森がこれまで行ってきた活動を知るとともに、今後その場所でできることを知る。今すぐに、というわけではないかもしれないが、実際に校外での活動に組み込もうと考える人も多いのではないか。

報告書でもなく、パンフレットでもない。どちらの性格も合わせもった本書には、教育と普及の一つの理想的な関係が見出せるように思う。これまでの体験学習の成果は、言い換えればセンターにおける教育の成果である。そうして蓄えられた資源を『体験学習BOOK』という形態に落とし込むことで普及活動へとつないでいく。社会教育施設としての役割を十全に示す広報の在り方として評価されるべきもののように思う。

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モデルプランが提示される。
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ワークショップの紹介頁。
*画像はぼかしてあります。

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閑話休題05

映画『OUR MUSEUM』
Ufer!Art Documentary,2002年.
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存在自体に価値がある

まずこの種のドキュメンタリーが存在したということに感謝したい。2002年の作品だが、それ以前も以降もミュージアムを扱ったドキュメンタリーが日本にあっただろうか。本作は「美術館とはどんな場所か」をテーマにした、存在自体が貴重なドキュメンタリーといえる。主に京都市立美術館とパリ市立近代美術館、ポンピドゥー・センターの歴史を比較しつつ、学芸員や美術家へのインタビューから美術館の役割を考察するという内容になっている。

 ただ残念なことに、パッケージに書かれているテーマが今ひとつ画面からは見えてこない。見るだけでは理解しにくいのだ。わかりにくさを助長する一つの理由として、パリと日本を交互に話題にするという手法が挙げられるだろう。またインタビューの質問項目が伏せられていることも仇となったかもしれない。パリと日本の学芸員、あるいは美術家や建築家がそれぞれの立場から美術館を語ることで多様な視点が垣間見られた反面、それが見る者の印象を散漫にしてしまった感は否めない。

しかし、それぞれのコメントは示唆に富む。

「生きている美術館とは答えをもたらすと共に問題をなげかける美術館のことです。美術館とは特権的な場所で、問題を問いかけなければならない場所。入ったときと同じように出てこれない場所なのです。」

これはパリ市立近代美術館の部長が語ったもの。美術館はそうであってほしいと自分も思う。そして、専門家以外のコメントも興味深い。オープニングではポンピドゥーセンターや京都市美の前でいろいろな人が「美術館とはどんな場所か」をワンフレーズで表現している。「知識」、「静けさ」、「発見」、「デートスポット」、「証言」、「新しい発想」等々。人々が美術館にどんな期待を寄せているかを感じられる。こうした「生の」感想が聞けるというのは嬉しい限りだ。

またいつの日か、こういうドキュメンタリーが撮られることを切に願う。仮に自分が美術館に身を置くならば、館の役割や仕事を舞台にしたドキュメンタリーを必ず残そう。そう決意させる一本であった。

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遊びの経路

遊びの経路
国際芸術センター青森 
春のアーティスト・イン・レジデンス展
2007年6月16日〜7月15日
国際芸術センター青森
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四者四様の見所あり。

「遊びの経路」、これだけ聞くと「遊び」がテーマなのかと思う。だが、この展覧会の主眼は後ろのほう、つまり「経路」にある。本展でいう「経路」とは、単に通過する道筋やたどるべき手順としてではなく、道を進んでいく過程そのものと理解されている。抜粋するとこうだ。

「経路」は、言い換えれば、あらかじめ決まった道筋をたどるものではなく、道筋を進む過程そのものといえます。それは世界を確認し、認識していく課程であり、思考の過程そのものでもあります。未知数の振幅あるこの過程を、今回「遊びの経路」とよぶことにしました。

展覧会では、パラモデル、小山田徹、アイガルス・ビクシェ、カミーユ・グージョンの四人が、それぞれに彼らの「経路」を表現してみせたことになるが、展覧会のコンセプトとしての「経路」には曖昧さも感じてしまう。つまり、あらゆる作品が作家の「経路」の一部と位置づけられうる以上、「何でもあり」の展覧会なのではという疑問も残った。

作品はそれぞれに見所があった。まずアイガルス・ビクシェはスチロール素材のパイプを用いて、有機的な造形を作り出している。まるで毛細血管のようだ。また彼は祖国ラトヴィアと青森をPCカメラでつなぐ作品も出していた。試みとしては面白いが、説明してくれる人がいなかったこともあり、残念ながらいまいち狙いが伝わりにくかったように思う。カミーユ・グージョンはねぶたの制作を参考にしたと思われる、<水獣アオモリ>なる立体作品を展示。この獣の体の一部は原爆のキノコ雲の写真で出来ている。同じ原子力大国から来た作家には、思うところがあったのだろう。映像作品もあったが、こちらはあったという印象だけ。
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子供向け、手書きの作品解説。

どちらかといえば、日本人の作品のほうに存在感があった。小山田徹の実測図を用いた作品群は見ていて飽きない。少年時代の記憶の扉を開くような作品であった。一方のパラモデルは、建物と中庭一杯にプラレールで絵を描いた。訪れた瞬間に「おっ」と思うインスタレーション。小山田の作品が近寄ってじっくりと眺めるのと好対照を成している。どちらも展覧会の中でその存在を十分に主張していた。
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会場風景。パラモデルのインスタレーション。

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国際芸術センター青森は山の裾野にあり、自然豊かな反面、レジデンス施設としてはやや不便な立地といえる。しかし、ここ何年かの活動でしっかりとその実績を残してきた。青森県立美術館とともに、これからの青森における芸術創造の基点となることを期待したい。

国際芸術センター青森により刊行されている『体験学習BOOK』。これまでの教育普及活動の成果の結晶。
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青森県立美術館 常設展Ⅱ

青森県立美術館 常設展Ⅱ
2007年6月26日〜9月24日
青森県立美術館
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いい展示はある。しかし・・・

 先頃一周年を迎えたばかりの青森県立美術館の評価が芳しくない。入場者数が伸び悩んでいるのだ。ようやく青森県にも本格的な美術館ができる、と期待されていたし、建築も話題をさらっていたはずだった。だが開館後、2つ目の企画で大きく入場者数が落ち込んだ。その後一年たって美術館はどうなったか、現状を見るべく足を運んだ。

まず駐車場から一番近い入り口が閉まっている。そもそも美術館の立地からして入り口がこれほど必要だったとは思えないが、設けられている以上閉まっていると寂しいもの。白壁やネオンサインもやや汚れてきた印象だ。
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入ることができない入り口。
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少し汚れてきたかな。

 結論から言ってしまえば、内部の展示はいいものが多い。巨大なホールにかけられた目玉の「アレコ」。以前は論争を巻き起こしたが、今は美術館の中で不動の地位を得たといえる。なにしろこのアレコを中心とした開館記念展は大入りだったのだから。

寺山修司に関する展示室は、一年前は閑散としていたが、映像が3方向に流されるなど充実した様を見せていた。ただ、家庭的なプロジェクターやDVD機材がむき出しになっており、舞台裏のような雰囲気の展示室に似つかわしくない。予算との兼ね合いもあろうが、もう少しプロっぽい機材を準備してほしいところだ。

もう一つ美術館の成長を感じたのが「×Aプロジェクト」という試み。「青森県ゆかりの作家と関連の深い作家、青森県の特性を導きだし得る作家を取り上げ、コレクションと連動させながら「青森」を考察していくプロジェクト」だという。第1回目はフロリアン・クラールという人物の幾何学的なインスタレーション<無限カノン第四番>。アルミによる有機的な造形が美しい。今後も期待のプロジェクトだ。

その他にも、斉藤真一の作品群は、暗い画面だが何か心の奥底にある情景として印象に残ったし、「考現学」についての展示も面白かった。総じて展示内容は充実していたといえる。
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美術館のやる気を感じる、常設展のパンフレット。

しかし、である。
奈良美智の<青森犬>の写真を撮れないのは相変わらずだった。<青森犬>は美術館の顔として多くのメディアに露出しているが、今や訪れた人が最もがっかりする作品の一つだろう。近寄れもせず、写真も撮れずの作品だからだ。

意地が悪い気もしたが、近くにいたスタッフに撮影禁止の理由をあえて聞いてみた。すると、彼女の説明はこうだ。「作品の著作権の関係と・・・作品の保存のためです。」おそらく彼女は博物館学の教科書にのっている知識をひっぱり出してきたのだろうが、この説明で納得する者はいないだろう。<青森犬>は野外にあるので、紫外線による劣化は避けられない。また作品の著作権というのも県立美術館の公共性を考慮すると印象としては「おかしな話」(ただし公共施設における権利概念と実情を知らないので印象でしかないが。)だ。それとも作家が権利を保ったままなのか。いずれにせよ、作家に対して悪い印象を与えかねない説明である。

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作者の権利を守るため写真をとらないで、と書いてある。スタッフは当然これ以上の説明ができなければならない。

なぜ撮影禁止に対する美術館のポリシーを説明できないのだろう。スタッフの教育という課題が見える。撮影禁止を貫くなら、なぜ撮れないのか、その意味をきちんと伝えていくことが必要だ。<青森犬>と来館者を隔てるガラスの壁。そこに美術館と県民の心の温度差が象徴されるように私は感じた。

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「こども美術館デイ2007」のチラシ。小中学生観覧無料の期間が設けられた。

追記
作品の権利関係については私も詳しくない。このあたりのことも少し勉強しようと思う。

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みどりのライオン 

東京国立博物館表慶館
みどりのライオン
みんなの教育普及スペース
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みどりのライオン!

 昨年改修工事を終えた表慶館が、今春、教育普及スペースとしてリニューアルオープンされた。表慶館は、1909年に当時の皇太子成婚を記念して建てられたもので、片山東熊の設計。明治の洋風建築を今に伝える重要文化財である。

「みどりのライオン」という名前は、表にある2つのライオン像に由来する。よくみると、この2頭のライオンは表情が異なり、山門の仁王像と同様、阿吽の相をとっている。表の二頭は威厳たっぷりの表情だが、デザインされたマスコットはかわいらしくも頼もしい印象。
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玄関を入って左のウイングはワークショップやレクチャーのために使われる。事前申し込みが必要なプログラムが多いので、気軽に立ち寄る感じではなさそうだ。それに対し、右側のウイングは来館者がふらっと立ち寄ることができる場所になっている。「出会いの間」と「体験の間」だ。
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「出会いの間」

東京国立博物館は、本館、表慶館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館からなっており、それぞれ使われ方に特徴がある。表慶館の「出会いの間」では、主にパネルによってそれらの施設の説明をしている。見せ方にも工夫があって、楽しみながら博物館の歴史と概要を理解できる。筆者が訪れたときは、普段は見ることができない本館の内部の映像も流されていた。ただし、この「出会いの間」、自分にとってはやや散漫な印象である。なぜだろう。部屋の奥のほうにある積み重ねられたボックスが雑然としていたからだろうか。

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「体験の間」

「出会いの間」を奥に進むと、「体験の間」となる。ここでは、常設展の展示に合わせた教育プログラムを体験できる。ボランティアが親切に対応してくれるので、子どもも大人も楽しめるだろう。このほか、入り口正面を進んだところに「探求の間」があり、子供の向けの関連書籍の閲覧ができる。

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 全体として、建物の特徴が活かされ、よく整理された空間が作られていたと思う。しかし、表慶館が重厚な作りであることも手伝ってか、イベントが行われていない時に表慶館を訪れると、受ける印象は少し寂しい。一般の人が気軽に入って楽しむためにはもう一工夫必要なのかもしれない。

建物の外にこれといったイベントの告知パネルがないので、今中でどんな活動が行われているのか、ということがまずわかりにくい。「入ってみよう」という気になる人は少ないかもしれない。また教育普及スペースと銘打たれているので、表慶館という建物自体を楽しみにくくなった。順路を設けて建物自体の見学コースが整備されると、とくに教育普及事業に興味のない人も気軽に立ち寄ってくれるのではないだろうか。それによって教育普及事業の露出効果も高まるものと思う。

なにはともあれ、日本を代表するミュージアムである東京国立博物館に常設の教育普及スペースが誕生したことをまず高く評価したい。今後の活動に注目していこう。

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青葉縁日2

青葉縁日2
おもしろ改造工場の夏祭り
2007年7月22日〜8月27日
仙台メディアテーク
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縁日という言葉を聞いて、人は何を思うだろう。夏の夜を彩る花火、友達や家族との楽しい思い出、恋人との幸せな、あるいはせつない時間だろうか。縁日には、人をわくわくさせる力がある。そんな魅力的な言葉を与えられたのが、このアート・フェスティバルである。

「こどもから大人まで体験しながらアートを楽しむ」のが眼目であるが、そこには縁日という甘美な言葉では捉えきれない、しっかりとしたテーマがある。二年目を迎える今年のテーマは、「ベンディング」。さて、「ベンディング」とは何か。

電気製品の電子回路を改造して新しい機能を与える行為をサーキット・ベンディングという。つまり、今あるものに手を加え、新しい価値や機能を作り出すことだ。青葉縁日2は、その意味を拡大し、広く日常にあふれるモノや情報を「ベンディング」していこうという趣旨で行われている。

このテーマを最も体現していたのが、エキソニモのインスタレーション<Object B vs>である。
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彼らは既成のシューティングゲームを「ベンディング」した。既存のPCパーツや雑貨を怪しげに組み合わせた「機械」の動かすキャラクターとプレイヤー(来館者)が対戦する、という形式を取る本作品には、しっかりとした世界観がみえる。また参加可能な体験型プログラムなのでアート・フェスティバルとも相性がいい。作家の力量が光っていた。

その一方で、縁日らしさを盛り上げているのがタノタイガの作品。縁日に付きもののお面に落書きをするという趣向で、イベントが進むごとに景観の変化も期待できる。デスマスクが並んでいるようでわりと気持ち悪いが、祭り気分を盛り上げる配慮があるプログラムだろうか。
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ずらりと並んだお面。他に縁日風のレイアウトもある。

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閑話休題04

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閑話休題04

小菅正夫『<旭山動物園>革命―夢を実現した復活プロジェクト』
角川oneテーマ21, 角川書店,2006年.

 旭山動物園に行く。それは相当に大変なことだ。なんといっても遠いし、それなりの予算もいる。しかし、多くの人が実際に足を運ぶ場所。本書はそんな注目度の高いミュージアムの園長が、不振の時期から成功までの道のりを記したものだ。

「見せ方を工夫する」
見せ方を工夫するとは、動物が能力を発揮できる環境を与えるということ。これはすなわち展示デザインの整備である。なるほどどんな展示にすれば作品の良さを一番引き出せるかは美術館の職員も特に気を配るところ。ただ、生きている動物たちにとっては、自分たちの特徴を発揮できる展示環境が彼らのストレスも軽減し、彼らの「保存」にも一役買っているあたりは動物園ならでは。

「失敗を隠さない」
旭山動物園がここ数年のブレイクを迎える以前、同園でのエキノコックス症発生がメディアに取り上げられたことを記憶している人もいるだろう。エキノコックス症は届け出が必要な法定感染症ではないらしく、公開するかどうか判断に迷ったそうだが、失敗を隠さないという姿勢から公開に踏み切ったという。当たり前の判断だが、どこかの原発の事後対応を見ても、組織ではなかなか難しくなるようだ。

「動物園の役割」
動物園は英語表記でzoological garden、略してzooとなる。つまり動物学の園であって学術施設といえる。旭山動物園ではこれに Wildlife Conservation Centre(野生生物保護センター)が英語名に加わり、絶滅の危険のある動物たちの繁殖を助け、野生に返す活動も進めているとのこと。著者曰く「動物のための動物園」を目指しているのだそう。

旭山動物園といえば、とかく画期的な展示方法に注目が集まりがちだが、本書はそれ以外の、より正確に言えば、その展示が生まれてくるための動物園の在り方を示している。帯書きにあるように「ビジネスモデルの原点」として読むのもいいが、動物園とはどういう場所なのか、それを改めて考えるのにも役に立つ一冊だ。

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世界報道写真展2007

世界報道写真展2007
2007年6月16日〜8月5日
東京都写真美術館
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報道写真を撮る、という行為。

本展は、オランダの世界報道写真財団が主催する「世界報道写真コンテスト」の入賞作品で構成されている。

「イラクで米兵が殺されたとき、掲載しないように訴えてくるのが記事ではなく写真なのはなぜでしょう?」そんな問いかけとともに展覧会は始まる。たしかに写真の力はとてつもなく強大で、切り取った“一瞬”のうちに物語を閉じ込めることができる。

会場入り口付近にパソコンが一台置かれており、グーグル・アースを利用できるようになっていた。来館者は展示されている写真が撮られた場所を、グーグル・アースを使って見つけるのだ。また写真が撮られた場所をランダムに自動表示するプログラムも組まれていて、それがチケッティングカウンターの動く背景となっている。面白い趣向だし、視覚的に人を惹き付ける。

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展示されている写真の中には思わず目を覆いたくなる光景もある。暴力の現場、その結果である人の死。報道写真には付きものの被写体。しかし、あまりにも過激だ。それを直視すべきなのか、あるいはそこから目を背けることが正しいのか。写真を前に人として自問自答する。一つ確かなことは、自分が今、報道写真を撮るという行為それ自体がもっている暴力性とも対峙しているということだ。

もちろん一口に報道写真と言っても、日常生活や自然の部門もある。ブレイクダンスの一瞬を切り取って、人がまるで宙に浮いているかのように見える写真もあれば、川辺に一匹だけ、こちらを注視するサーバルキャットがまるで合成のように写っている一枚もある。現実に起こっている出来事のはずなのに非現実的な光景を見せつける、こうした写真は表現としての面白さも手伝って観ていて飽きることがない。

映像作品もあった。とてつもなく人の心を打つ作品が一本だけ。それは空爆によって破壊されていくレバノンの街の様子と被災者へのインタビューをメインに写したものだった。

写真の力。世界報道写真展は改めて私にそれを教えてくれた。もっともその力が強すぎるときもあったが。

補遺
たまたま一日のうちに20世紀半ばの報道写真(ブレッソンの写真)と今日の報道写真を見比べることとなった。世界が過激になったのか、それとも表現が過激になったのか? 2つの展覧会を観て想う。

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アンリ・カルティエ=ブレッソン展

アンリ・カルティエ=ブレッソン
知られざる全貌
2007年6月19日〜8月12日
東京国立近代美術館

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モノクロの世界の豊かな表情。

ブレッソンの写真はレンブラントの絵画を思わせる。そう、前後の物語を連想するに最も適した瞬間が切り取られているのだ。観る者が物語をイメージできる構図。「決定的瞬間」とは、きっとそういうことなのだろう。

本展はアンリ・カルティエ=ブレッソンの大回顧展である。ビンテージ・プリントを多数含む写真の他、彼の個人的なアルバムや晩年のスケッチまでを網羅する。約450点に及ぶ作品数は、まさに全貌と呼ぶに相応しい。

入ってすぐの位置に、「決定的瞬間」という言葉を広く世間に印象づけた写真<サン=ラザール駅裏>が展示されている。「クラシック」と題された傑作選だ。有名作品が目白押しのこの導入は一瞬にして来館者の心を掴む。後ほど登場するビンテージ・プリントとの比較を楽しむのもよい。

展示室は主として白壁に黒い額縁。ブレッソンのモノクロの世界に良く合うように、落ち着いた色が与えられている。なによりこの展覧会、空間構成が絶妙だ。独立運動期のインドと国共内戦時の中国、冷戦時のアメリカとソ連というように対比的な空間を演出している。それによって時代の証人となったブレッソンの仕事を効果的に紹介することが可能になっている。可動式の展示壁をもつ美術館ならではの見せ方だろう。

ガンディーの死、国民党軍の敗走など重大な歴史の転換点に居合わせたブレッソンだが、彼の写真の魅力はそれだけではない。そうした大掛かりな舞台装置を必要とするまでもなく、彼の目は日常に潜む絶妙の表情を切り出している。ブレッソンのそうした写真は、必ずどこかユーモラスだ。ベルリンの壁を眺める三人の男たちを後ろから写した<ベルリンの壁建設の後>はその好例。

写真だけでもかなりの分量なのだが、最後の最後に映像スペースが設けられていて、その時間も一時間近くあるのだ。内容が充実しているのは嬉しいが、これでは時間がいくらあっても足りない。また、フロアガイドや導入部のパネルではガンジー、それ以外ではガンディーという表記の揺れも若干気になった。ガンディーに統一すべきだろう。

じっくりと回ったのでさすがに疲れたが、「いつか自分にもこんな写真が撮れたら」、そう思えた。大変充実した展覧会だった。

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慈覚大師円仁とその名宝

慈覚大師円仁とその名宝
比叡山修学1200年記念 特別展
2007年6月16日〜7月29日
東北歴史博物館
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円仁というよりは天台宗の名宝?

 本展は、東北にも縁の深い慈覚大師円仁の名を冠した展覧会だ。慈覚大師は立石寺や恐山とも関係が深いので、東北の人間には知名度が高い存在だろう。会場である東北歴史博物館は、仙台から電車で15分ほどの位置。博物館が駅を降りてすぐ目の前にあるので便利だ。ただし、大学生が学生割引の対象外なのは改善してほしい。

ホールには円仁の足跡を辿る10分ほどの映像が設置されており、展覧会への期待が高まる。入ってすぐの位置に、展覧会の構成を示すパネルがあった。それによると、3章構成のうち、円仁の生涯が第1章で終わってしまう。後は「円仁がひろめた教え」や「円仁敬慕」など、要するに「円仁とは直接関係ないけど、円仁ゆかりの寺の品々を集めました」という感じになっている。なるほど東北にも「慈覚大師開基」といわれる寺は多い。そこから品々を集めてきて展覧会を開催することは可能だろう。しかし、展覧会の名前が『慈覚大師円仁とその名宝』とあるため、ちょっと肩すかしを食らったような印象だ。

今回、展覧会を通じて一番気になったのは、キャプション(解説文)の言葉だ。「〜は検討すべきだろう」や「〜は多面的な検討を必要とする」など、「検討」すべきことがやたらと多い。キャプションは誰のために置かれるのかを考えた場合、こういう言葉を多用する必要があるだろうか。正しいことを伝えたいという思いの表れかも知れないが、私には来館者ではなく他の専門家に向けて書いているように思えた。またキャプション一つあたりの文字数も多かった。

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閑話休題03

閑話休題03

映画『NARA: 奈良美智との旅の記録』
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 正直なところ、僕は奈良美智の描く絵にあまり興味がなかった。奈良の描く絵が嫌いというよりは、ロックをかけて煙草をフカしながら、あまりきれいではない部屋でひとり制作をする、という奈良本人の行動に抵抗があったからだ。

2006年夏、青森県弘前市で行われた展覧会に相当な数のボランティアが集まったのは記憶に新しい。この映画は、その話題の展覧会『A to Z』が同地に至るまでの奈良の行動を追ったドキュメンタリーだ。

ナレーターは宮崎あおいでなくてもよかったと思うが、映画の撮り方と構成は見事だった。「奈良美智」という個性が充分に引き出されている。調べてみると、監督の坂部康二は、ドキュメンタリーを中心にテレビ番組のディレクターとして活躍している人物のようだ。『情熱大陸』にも関わっていると聞くとその手腕にも合点がいく。

奈良は言う。「ひとと関わることが多くなってきて、むかし描けなかったものが描けるようになってきているのは確か。でも、むかし描けたものが描けなくなっていることも確か。それが、いいことかどうかはわからないけれど、同じものを描き続けているより変わっていったほうがいい。」

映画が進むにつれて、徐々に奈良の悩みや戸惑いが伝わってくる。その悩みに共感する自分。作品をあからさまに賞賛するでもなく、カメラは静かに、そしてどこまでも奈良の素顔を追い続ける。

映画が終わる頃、奈良に対する僕の見方は変わっていた。人としての共感。僕は奈良を少し好きになったが、彼の絵を好きになるのはきっとまだ先のこと。

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美術検定 アートナビゲーターはどこへ?

美術検定 アートナビゲーターはどこへ?
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前回、美術検定の知の在り方を問うた。そして、美術検定における「モノを観る力」は、知識偏重、従来型の美術との関わり方と同じであると結論づけた。しかしもうちょっと考えてみたいことがある。そこで今回は、アートナビゲーター検定から美術検定へという名称変更に今一度注目しよう。

2003年から始まった「アートナビゲーター検定」。僕はこの名称が好きだった。実態はどうであれ「アートナビゲーター」という言葉には一つの専門性を感じるし、ジャンルとして確立させようという気概のようなものを感じる。なにより「ああ、そういう活動をしたい人たちが受けるのね」とわかりやすかった。

では「美術検定」はどうだろう。印象としては美術が好きな人が受けるもの、である。そこには専門性もあまり感じとれないし、既にあるジャンルだから目新しくもない。僕なりの解釈では「アートマニア検定」だ。

ナビゲーターとマニア、そこには大きな違いがある。「アートナビゲーター」であれば求められる知識が、たとえ「暗記する知」であっても人を案内するために最低限必要なものと捉えられる。それは社会性のある行為だ。

けれども、名前を変えられた、美術検定、僕の印象での「アートマニア」ではそういう社会性を感じることはできない。とても個人的な行為になってしまったように思える。知識が自己完結する世界と言ってもいいだろう。

よくよく考えてみると、今回の名称変更にはこうした意味合いの変化を見出せる。案内役から趣味人へ。そういう意味ではこの変化、専門学校だったものがある日カルチャースクールへ変わった、そういう大きな変化だったのではないか。たかが名称、されど名称。名称変更。それはまた、これまでアートナビゲーター検定を受けてきてくれた人たちに対して失礼なことだと僕は思う。なぜこういうことになってしまったのだろう。

近年、美術を取り巻く状況、ことミュージアムの教育普及事業は大きく進展してきたはずである。子どもをターゲットとした金沢21世紀美術館が成功し、九州国立博物館も教育普及スペースが一つの売りになっている。東京国立博物館も表慶館を教育普及スペースにあてた。

そういう時期に「アートナビゲーター」という名称を捨てたということは、この検定の制度としての敗北を示しているのかもしれない。今後もこの問題は注意深く見守っていきたい。

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美術検定 モノを観る力?

美術検定 モノを観る力?
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昨年まで「アートナビゲーター検定」と言われていたものが「美術検定」と名を変えたらしい。名前が変わったことにより、どうにも言えない違和感をおぼえる。いや、正確には名称変更が問題なのではない。問題は付け足されたキャッチコピーとの相性だ。「モノを観る力。」

「モノを観る力」とはなんだろう。アートナビゲーター検定の過去の問題は、はっきり言って、アートに関する「知識」を問うものだ。「サグラダ・ファミリアの設計者は誰か?」「作者と作品でまちがった組み合わせはどれか?」などなど。

作品について知る、語る、あるいは他人をナビゲートするにはそれもいい、当然必要だ。だが果たして、それを身につけたところでモノを観る力が養われたと言えるのだろうか。それでも広告では高らかに謳う。「アートを知ることでアートを観る力がついてくる」と。

要は「モノを観る力」をどう考えるか、それが問題だ。仮にその力が「鑑賞」という行為に長けることを意味しているなら、目の前の芸術作品について知っている、「わかっている」というだけでは済まないだろう。

一枚の絵をみたとき、みんながみんな同じ感想を持つということはほとんどない。様々な意見や経験が一枚の絵を観ることから生まれ出るものだ。つまり、鑑賞とは個人的な体験で、そこから紡ぎだされる言葉もごくごく個人的なものでよい。そもそも観る力はあなたの内に備わっている。だからこそアレナスが提唱するような鑑賞プログラムにおいては、それを共有することを大事にしているのではなかったか。

だが、美術検定の内容では「モノについて知っている」の意味にしかならないだろう。そこから出てくるのはお仕着せの言葉たち、習得した知識だ。それではキャプション(解説文)を熟読してから、作品をちらっと流し見るという従来の鑑賞態度と指向性において大差がないように思う。美術検定も「始めに知識ありき」だ。

確かに知ることは大切で楽しいし、認定証によって夢を叶える人もいるだろう。そして美術検定を足がかりに、自由に美術と向き合い始める人もいるだろう。少々値段が高いとしても検定制度に一定の意味があることは否定しない。ただし、安易に「モノを観る力」を謳うことには疑問をなげかけずにいられない。美術を観ること、美術鑑賞とは何か?それはなんで必要か?という問いに答えるのは、実はけっこう難しいことだと思うから。

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生誕100年 靉光展

生誕100年 靉光展
靉光—激動の昭和/幻想と現実を見つめた画家
2007年6月9日〜7月29日
宮城県美術館
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「日本にもこんな画家がいたのか。」

靉光(あいみつ)の絵は独自の世界をみせてくれた。とはいっても初期の油彩はセザンヌやルオーの表現を実験的に用いている。有名なのは、<目玉のある風景>だ。「日本のシュルレアリスム絵画の代表作」と評されている。この作品を含め近辺にある<馬>や<ライオン>を観る限り、靉光は完全なる非現実を描いているわけでも、自分の精神世界に閉じこもっているわけでもないようだ。「地に足のついたシュルレアリスム画家」とでも言うべきか。現実に根ざしての思考、それに相応しい表現が彼にとってはたまたまシュルレアリスムだったのかもしれない。

本展は靉光の生誕100年を記念し、約120点の作品から彼の画業を振り返る内容となっている。展示されている作品は、油彩、ロウ画、墨絵、細密画と幅広い。様々な表現を模索してきた結果ともいえる。

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特に良かったのは、ロウ画と細密画。ロウ画とは靉光独自の技法だそうだ。溶かしたロウやクレヨンに岩彩を混ぜて描くことで、独特の質感が生まれている。絵として脆弱なのかロウ画の一角はとくに照明が落としてあったように思う。

細密画は筆と墨による表現のはずだが、まるでエッチングのような雰囲気を漂わせている。とにかく筆が細かい。なかでも<二重像>は描写力、発想ともに秀でており、本展でも特にチェックしておくべき作品の一つだ。(上記写真右下)

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パルマ展 02

パルマ イタリア美術、もう一つの都 02
2007年5月29日〜8月26日
国立西洋美術館
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「イタリアの友人への感謝の気持ちを忘れずに、決して作品に触れたり傷つけたりすることないよう、ご協力をお願いいたします。」

パルマ展入り口の「お願い」と題されたパネルにはこう書かれていた。同じ注意を受けるにしても、「イタリアの友人」というのはちょっと新鮮だ。

国立西洋美術館の特別展は、映像から始まることが多い。今回の約11分の映像では、パルマの町並みや歴史の説明、壁画等の移動できない作品をみせており、これから赴く空間への期待を高めてくれる。

パルマ展では、子供向けの教育ツール「ジュニアパスポート」が配布されている。残念ながらもらえるのは子供のみだが、この種のツールは大人が利用しても十分楽しめるし、役に立つ。

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対象年齢は小学校高学年から中学生。デザインはパレットを模しており、ちゃんと指を入れる部分も設けられている。凝った作りだ。

内容は、片面が「聖人探し」と「美術館でのマナー」、もう片面が展示作品の見方の提示に当てられている。

「聖人探し」
キリスト教の宗教画を見る際の大きな障害となるのが、「描かれているのはどんな場面なのか?」ということだ。なかでも聖人は、キリストの誕生や磔刑に比べてわかりにくい。「聖人探し」では「その人がどんな人でどんなヒドい目にあったのか?」と「その人とわかる印」にしぼって解説しており、非常にわかりやすい。

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パルマ展 01

パルマ イタリア美術、もう一つの都 01
2007年5月29日〜8月26日
国立西洋美術館
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パルマといえば、サッカーの中田英寿選手が一時期在籍していたこともあり、日本での知名度もまずまずだろう。もちろんパルメザンチーズでも有名だ。本展は、16世紀から17世紀頃のパルマ美術を紹介する展覧会であり、約110点の作品が展示されている。

絵画のみの展示かと思いきや、始まりは時祷書だった。書籍としての完成度に思わず目を奪われる。冒頭の絵画で印象的なのは、チーマ・ダ・コネリアーノ<眠れるエンデュミオン>であろう。静かに降りてくる月(ディアナ)が物語を演出している。後ほどショップでこの絵のクリアファイルを見つけた。珍しいL版写真サイズだったこともあり迷わず購入。
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続いてコレッジョとパルミジャニーノを中心とするコーナー。コレッジョやパルミジャニーノは、美術史ではおなじみの顔ぶれだが、一般的な知名度ではダ・ヴィンチはじめ他の画家に押されがちだろう。副題に「イタリア美術、もう一つの都」とあるのはそのためかと邪推しつつ、どことなく彫刻を意識させるパルミジャニーノの作品<聖チェチリア>を眺める。圧巻の大きさ。

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閑話休題02

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閑話休題02

蓑豊『超・美術館革命—金沢21世紀美術館の挑戦』
角川oneテーマ21, 角川書店,2007年.

読みやすい。
ためになる。
やる気がでる。

2004年の開館以来、高い入場者数を維持し世界的に注目されている金沢21世紀美術館。その館長が語る美術館像は、「敷居の低い美術館にして交流館」だ。美術館を市民が自由に立ち寄れる場所にするという発想。カフェ、レストラン、アートライブラリー、ショップなどぶらっと寄りたい場所は全て無料ゾーンに置かれている。「美術館が街を作り、文化が経済を生む」という強い信念の下、ユニークなアイデアで美術館を成功へと導いてきた者の言葉は、単純明快だ。

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ピカソ展

ピカソ展
ルートヴィッヒ美術館コレクション
2007年5月27日~7月16日
岩手県立美術館
Piccaso
本展は独ケルン市、ルートヴィッヒ美術館所蔵のピカソの作品から100点ほどを選び出した、絵画、版画、陶芸、そして写真によって構成される展覧会である。これまでいくつかの美術館でピカソの作品を見る機会を得たが、これほど落ち着いた空間でゆっくりと作品と対話したのは初めてだ。平日、しかも雨の日に訪れたせいもあろうが、ホワイトキューブの空間に整然と配された作品の数々は、見られることを静かに待っている。

版画の割合がやや多く、期待していたほど陶芸作品がなかったのは残念であるが、絵画も、版画も、彫刻も、陶芸も一通り眺めることができる。またキュビズムに至るまでのピカソの足跡も垣間見られ、キュビズムに至ってからの作品との対比も楽しめる。そしてピカソの「日常」を切り取った写真も充実している。この展覧会、ひとことでいえば「ピカソ入門」として最適なのだ。

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ミュゼログ(museum+blog)?

ミュゼログ(museum+blog)?  
A Prospectus of Muselog
Update 2007 06 08

ミュゼログ(museum+blog)は、ミュージアム(博物館や美術館)についてのブログです。ミュージアムの教育普及事業に関心をもつ筆者が教育普及事業や展示デザインに注目して展覧会の感想を綴っています。どんな展覧会に行き、何が記憶に残ったか、は書き留めておかないと次第に忘れてしまうもの。筆を進めていくうちに、一年間にいくつ展覧会に足を運んだかも記録されるはず。

またミュゼログは筆者にとっての記憶と記録のための場であると同時に、展覧会の感想を「収集」する場でありたいと考えています。東北で催される展覧会に関していえば、展覧会の感想は個々のブログに散発的に載せられていることが多く、感想や評価が「一カ所」にまとめられることはありません。ミュゼログ(museum+blog)は来館者にとってはコメントやトラックバックを通じて展覧会の感想を自由に書き込める場所として、ミュージアムにとっては展覧会に対する生の意見を知ることができる場所として、機能することを目指しています。

ミュゼログはミュージアムと来館者の「対話」の場を創出します。

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マルレーネ・デュマス―ブロークン・ホワイト

マルレーネ・デュマス―ブロークン・ホワイト
2007年4月14日〜7月1日
東京都現代美術館
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「わかりやすいが、わからない絵」。矛盾した表現だがデュマスの絵に対する素直な感想だ。絵自体は顔のアップなどシンプルな構図が多く、特に注視するほどの情報量が画面にはない。ただ、さらりと流し見ながら美術館という空間を楽しみたい人には少しばかり主題が重く感じられる。デュマスの絵には観る者に何かしらを考えさせる空気がある。

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岡本太郎 明日の神話

岡本太郎 明日の神話
2007年4月27日〜2008年4月13日
東京都現代美術館

昨年汐留で公開された話題の大作、岡本太郎の<明日の神話>を観た。常設展のなかの特別公開という扱いで、展示期間が約一年と定められている。

3階まで上がり、岡本の他の作品を展示している前室的な空間をぬけると、突如巨大な空間が現れた。長らく行方不明になっていた作品としてメディアで盛んに取り上げられていたこともあり、構図等は事前に目にしていた。が、実際その大きさには圧倒された。作品自体パネル14枚に及ぶ全長30メートルの巨大な作品なのだが、余裕をもってその大作を展示することができる東京都現代美術館という空間にも驚かされる。

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閑話休題01

映画『ナイトミュージアム』

もし展示品が動きだしたら?そんな想像を実現させたのが、この映画。舞台はニューヨーク、セントラルパークの一角にある自然史博物館。とある石盤の力で夜になると展示品が博物館の中で大騒ぎ。それがなんとも面白い。主人公に襲いかかる恐竜の化石はペットの犬のように遊んで欲しいだけだったとか、既成のイメージを上手く読み換えることで笑わせてくれます。展示品をちょっとコミカルにアニメーションさせる手法は、教育普及ツールにも応用したいものです。ストーリー自体はドタバタのコメディといった感じですが、最後に息子の信頼を勝ち得た主人公の姿に人知れずぐっときたお父さん世代も多いはず。「展示品のことをよく知れば博物館はもっと楽しくなる」、そんなメッセージを感じる一本でした。

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吉村作治の早大エジプト発掘40年展

吉村作治の早大エジプト発掘40年展 その2
2007年5月25日〜7月22日
仙台市博物館

『吉村作治の早大エジプト発掘40年展』では、関連イベントとして「わたしもファラオ ヒエログリフで遊ぼう」が常時行われています。

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ご覧のように盛況でした。土日などはもう少しスペースを広くとってもよいかもしれませんね。ヒエログリフのスタンプを使って自分の名前を書いてみようという趣向ですが、みなさん、自分の名前のスタンプを選び出す作業に苦労されているようでした。

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吉村作治の早大エジプト発掘40年展

吉村作治の早大エジプト発掘40年展 その1
2007年5月25日〜7月22日
仙台市博物館

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テレビ等で活躍中の吉村作治の名を冠した特別展『吉村作治の早大エジプト発掘40年展』の感想です。展覧会の目玉は、行政官セヌウの青いミイラマスクと木棺。完全未盗掘の逸品として、会場でも特別に設えられた黒が基調の展示空間に配置されています。まず始めの部屋に入って驚かされたのが、小さいながらも展示室一つを使って吉村作治がエジプト考古学の道に進むまでの過程を説明していることです。普段なら収蔵品が配される空間に、少年吉村の人生の転機となった一冊の本を展示するという力の入れ具合には少々戸惑いも感じてしまいますが、この展覧会の名に恥じない扱われ方とも言えましょう。

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伊東豊雄

伊東豊雄 
建築 新しいリアル
2007年4月13日〜5月18日
仙台メディアテーク

仙台を代表する建築物となった仙台メディアテークの設計を手がけた伊東豊雄の作品を紹介する展覧会です。会場自体が展示作品となってしまうあたりは建築家ならでは。もちろん、会場内も伊東豊雄の世界を余すところなく堪能できるよう構成されています。

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