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2007年10月

倉敷民芸館

倉敷民芸館
岡山県倉敷市

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バリアフリーが課題

倉敷民芸館は日本民芸館に遅れること約10年、日本で2番目の民芸館として作られた。古い倉を利用した建物は、往時を偲ぶにはもってこいだが、現在では課題も多い。その一つがバリアフリー化である。急な階段に滑りやすい床、高齢者に限らず厳しい環境である。雰囲気を損ねることなく、いかに鑑賞しやすい環境を整えていくか。その作業にも現代の「民芸」の理念が問われることだろう。

訪れたときには、「型」展(2007年9月14日〜12月2日)が開催されており、ワークショップも企画されているようだった。

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大原美術館

大原美術館
岡山県倉敷市

「常設」の贅

 常設展示を楽しめる美術館、それが大原美術館である。日本初の西洋絵画を扱う私立美術館であり、早くから教育普及事業に力を入れてきたことでも知られている。エル・グレコやモネ、ルノワールなどを中心に、民芸運動に関わった作家の作品からポップ・アートまで、収蔵品は幅広い。他館では特別展で目にするような作品が、常設で展示されている。

 ギリシャ神殿風の本館正面は思いのほか小さい。二体のロダンに迎えられ、名画の旅を開始する。大原美術館のコレクションとしては印象派が充実しているのだが、印象派よりはエル・グレコ、ギュスターブ・モロー、モディリアーニなどが好みである。大原美術館の収蔵品の幅広さは多様な好みに応えてくれる。

ふと、学芸員が選んだ「この一点」という作品紹介が目に留まる。児島虎次郎の<ベゴニアの畠>だ。みな熱心に解説文を読んでいる。しばし観察してみると多くの来館者は明らかに絵を見るより、文を読むほうが長い。後ほどHPで確認したところ、「この一点」は企画展(展示期間9月11日〜12月24日)の扱いを受けている。なるほどキャプションではなくパネルとして捉えれば、文の長さも納得がいく。それでも、一枚の作品解説としては少々長すぎる気もした。

 大原美術館には、有名な逸話を持つモネの<睡蓮>がある。・・・<睡蓮>をみた一人の子供が「かえるがいる」と指摘する。もちろん画中に蛙は見あたらない。「どこに?」と問われた子供は「葉っぱの下」と答えたという。・・・この逸話が本当かどうかはともかく、鑑賞教育の目指すべき一つの地平を示す例である。この「かえる」は子供にとって想像遊びによる産物ではない。明確に画中に「発見」された存在に他ならなかったはずだ。子供が絵から受け取る内容や子供にとってのリアリティを大事にする必要性を教える逸話と私は理解している。(大原美術館の教育普及事業については、『かえるがいる−大原美術館 教育普及活動この10年の歩み 1993〜2003』(財団法人大原美術館,2003年)に詳しい。興味のある方はそちらを参照していただきたい。)

他館の特別展のパンフレットなどが置いてある休憩室のようなところに、『大原美術館ティーチャーズガイド』という冊子があった。「手続編」と「活用編」に分かれており、学校の来館実績もひと目でわかるようになっている。デザイン的にはまだまだ改善の余地を感じさせるが、学校との連携を円滑に進める上で不可欠な媒体であろう。


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猪熊弦一郎展

猪熊弦一郎展
2007年7月15日〜10月14日
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

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駅前と美術館

美術館がどこに建てられるかは重要な問題だ。収益を考えた場合はもちろん、それを建てた側の意識が問われるのだから。公立ならばなおのこと。行政にとって美術館がどの程度の重みをもった存在であるのか、それを示す一つの要素が「立地」である。

その点、猪熊弦一郎現代美術館は丸亀駅の目の前にある。駅を出ればすぐ目に留まる、端正なグレーのスクウェアな建物。前庭には赤や黄のオブジェが置かれている。設計は谷口吉生。

仮に美術館がこの場所になければ、丸亀駅前は小さな町のどこにでもある景観の一つに収まっていたはずだ。確かに美術館は周りの景観とは確実に異なり、その異質性をもってこの駅前が「他のどこでもない場所」となっている。市がここに美術館を建てると決めたこと、それは賞賛に値する。欲を言えば、美術館を中心に町が活性化している様子を見てみたい。おそらく市としても何らかの波及効果を期待していたはずだ。だが場所に対する美術館の際だった異質性を鑑みると、その効果はまだ現れていない。

訪れたとき、常設展では猪熊が描いた妻の絵を特集していた。絵と絵の間隔も十分に取られているので、ゆっくりと絵を眺めることができるのが嬉しい。解説プログラムを組むなら、写実よりも抽象の方が与しやすいか、などと勝手なことを考えながら、よくある特別展の喧噪とは異なる常設展の静寂を楽しんだ。
併設のカフェのランチが美味であった。

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エルネスト・ネト展

エルネスト・ネト展
2007年7月15日〜10月8日
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

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柔らかな作品に抱かれる感覚。

 鑑賞者が展示空間に身を任せる。作品と鑑賞者の双方向的な関係、エルネスト・ネトの作品はそれを生み出せる。鑑賞者は関わり方次第で、いわゆる「普通」の鑑賞体験とは一味違う時間の過ごし方ができる。「作品に抱かれる感覚」とでも言おうか、身体全体を通して作品を体験できるのである。

入場に際しては靴を脱ぎ、靴下の裏のホコリを取るように言われる。たしかに、これを怠れば、展示期間を通じてネトが作り出した白の世界をきれいに保つことができない。とくに白は汚れが目立つし、汚れていては清潔感を欠く。全ての人が展示空間を心地よく楽しむためには必要な配慮といえる。

布で覆われた作品内部は穏やかに白く光る。クッション性のある床や壁も同様に白く、ところどころにほのかに淡い色が添えられている。物理的にも視覚的にも非常に柔らかい空間が構築されている。その空間は、入った者を温かく包み込み、ぬくもりを感じさせる十分な表情を与えられている。腰を下ろし、ゆっくりと天井を眺める者、大の字に寝そべる者、この空間の過ごし方、楽しみ方は様々である。共通しているのは、普段より時間が少しだけゆっくりと流れていることかもしれない。ここでは不思議と人の動作も穏やかになるようだ。

大人にとってゆっくりとした時間が流れる空間も、小さな人にとっては最高の遊び場となる。私が訪れた当初、小さな団体によって空間は賑やかに演出されていた。彼らは難しいことは考えず、十分に空間を満喫していた。そして、それは非常に正しい。彼らが存分に楽しめる懐の広さもこの空間の魅力なのだ。だが、皆がそれを快く思っていないこともまた事実である。ロビーにネト展の感想集が置かれていたが、その中にはいつから美術館は子供の遊び場になったのか、というような批判的なコメントもあった。本展の作品の性格を鑑みると、この種の批判が出ること自体、作品への理解を欠いているように思うが、当人にとっては不快な鑑賞体験になってしまったのだろう。それはそれで残念である。パネル等で作品についての館なりの解釈を予め添え置くことでそれが回避されるなら、美術館と来館者どちらにとっても幸福な結末になっただろう。

私にとって展示空間は終始心地の良いものであったが、想像していたよりも小さかったのが残念だ。奥行きがないという印象がある。裏を返せば、もっともっと続いていて欲しい、それだけの感覚を与えてくれる空間と言えるのだが。

作品の外側では、制作の様子を映した映像をみることができた。写真が一秒ごとに変わるスライドショーの形式で、素材はカタログに掲載されていたものが含まれていたように思う。ほぼ一週間に渡って徐々に空間が構築されていく様子とともに、作家やスタッフの表情にもせまる作りであった。ただ何分の映像なのか題箋があれば、より親切なのは間違いない。

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フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展

フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
2007年9月26日〜12月17日
国立新美術館

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一点豪華展示の<牛乳を注ぐ女>

 アムステルダム国立美術館所蔵のフェルメール<牛乳を注ぐ女>(あるいは<ミルク・メイド>)を日本で見る。この幸運は、アムステルダム国立美術館の改装によって実現した。もっとも私の目当てはヤン・ステーンのほうだが。

さすがにフェルメール、平日でも人が多い。注目のフェルメールは一区画に一作品という「一点豪華展示」の待遇を受けていた。順路が設けられている様は、今春、東京国立博物館で行われたダ・ヴィンチ展を彷彿させる。どこからか「なんだフェルメール、一点しかないのか」という声も聞こえたが、そればかりは仕方ない。そもそもフェルメールの作品は多く残っていないのだし、館にとって絶大な観光資源となる一枚なのだから、おいそれと貸し出しはしない。

さて、肝心の<牛乳を注ぐ女>であるが、小さい作品の上、結界から距離があるために、実に遠くからの鑑賞となる。本物が目の前にあるのだが、近づけず細部まで観ることができない。フェルメール目当ての人は単眼鏡を持参することをお勧めする。そうはいっても、順路をゆるやかに進みながらの鑑賞となるので、立ち止まってじっくり眺めるというわけにもいかないのが辛い。

フェルメールを見る部屋の前では3分ほどの映像が流されていたが、この映像、以前NHKでやっていた『世界美術館紀行』と同素材であった。気付いた人も多かったのではないだろうか。映像のほうが細部まで観ることができるのは、仕方のないことだがもどかしい。作品を知るという意味では、X線や赤外線調査のパネル写真が興味深い情報を与えていた。普段見ることができない部分に光を当てる。自分としてもそういう解説を心がけたい。

フェルメール、フェルメールと書いてきたが、この展覧会はフェルメール頼みというわけではない。展示室を見渡してみる。すると、パンフレットや告知には「オランダ風俗画」とだけ書かれていても、この展示が風俗画中に描かれた「女性」の姿を執拗に追っていることに気づく。とすれば、<牛乳を注ぐ女>は極めて適切にアイコンとしての機能を背負っている。卵が先か鶏が先かは分からないが、展示構成に一本筋が通っており、有名作品に「おんぶにだっこ」の企画ではない。17世紀のオランダ絵画の黄金期から19世紀後半まで、観る者は絵画と銅版画に描かれた「女性」の変化を知ることになる。

本展ではヤン・ステーンに代表されるが、17世紀は画中の人物・事物に「寓意」を読むことができる。それは現実を写実的に表現しただけではなく「作られた構図」であることを意味しているが、展示に従えば、時代が進むとその寓意は消えゆくらしい。フランスの侵攻によって黄金時代は終わりが告げられ、19世紀を迎えると、近代化あるいは機械化という社会の大きな変化がある。それによって、農村に対する憧憬的描写が生まれていき、女性像にも「理想化された農村」が反映されていくのが面白い。これまで19世紀のオランダ絵画にほとんど目を向けて来なかったこともあり、勉強になった。

なお会場には画中に登場する楽器や工芸品の展示もある。とくに楽器はオランダの室内を再現した展示スペースに置かれており、雰囲気を高めている。

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