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柳宗悦と東北の民芸

柳宗悦と東北の民芸
2007年8月3日〜9月2日
仙台市博物館
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「民藝」から「民芸」へ

『柳宗悦と東北の民芸』、本展は宮城民芸協会設立40周年を記念して行われた。展覧会の会場に行くまで、私は数年前山形美術館に巡回してきた『柳宗悦の民藝と巨匠たち』という展覧会と混同していたため、また同じものをやるのか、と思っていた。改めて見直してみても、展覧会の名前は別にそれほど似てはいない。単に、柳宗悦と民芸という分かち難い関係に対する強固なイメージが、私の中では2つの展覧会をもはや「同じもの」としてしか認識できなくなってしまっていたのだろう。

些細なことかもしれないが、「みんげい」の表記が変化していることが気になった。ここ数年の間に、ある種神話的ですらあった「民藝」という言葉が、一般的な「民芸」へと書き換えられている。「藝」は柳自身が固執した言葉といわれている。民芸協会主催のこの展覧会における表記の問題は、背後にある思想的な変化の一つの表れなのかもしれない。

 さて展覧会は特別展ではなく企画展という扱いで、一部屋だけのこぢんまりとしたものであったが、なかなかの印象である。すでに言い尽くされているとしても、やはり柳の仕事の価値は大きい。当時まだ「発見」されていなかった民具に美を見出し「民藝(民衆的工藝)」という概念を与えたこと、失われるはずの農村の民具を収集し保護したこと、それらのために美術館を建てたこと。柳宗悦という個性なしには、いずれも成し遂げられなかったであろう。今こうして展覧会を通して、消えゆく運命にあった品々と対面できるということは幸福なことだ。

展示品の中で、今回最も心惹かれたのは<背当て>である。彩る装飾の美しさ。鮮やかな色遣い。アンデスやアフリカの民族美術にも負けてはいない。それぞれに自分なりの意匠が施され、農村に確かに存在したであろう美意識を感じさせる。今回、精巧な技を誇る刺子の類も多く展示されていたが、色の配置と意匠性では<背当て>が勝っていたように思う。

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 側に置かれていた柳の文章には、作る者と着る者が同じであることに対する彼の尊敬の念が記されていた。それに私も賛同したい。現在、自分は何を作ることができるだろう。彼らは自分たちのことを芸術家とは称さなかったが、優れた芸術家であったことを感じさせる品々であった。もちろんこの展覧会に出ている品々は柳の眼を通した取捨選択の結果であり、必ずしも農村の実態ではなかったとしても。

焼物、編組、刺子、木漆工、そして数は少ないが金工までを網羅した展覧会は、なかなかの内容であった。しかし展覧会から思い巡らされることは、必ずしも晴れやかなものではない。民芸はいつになったら柳宗悦という個性とその世代から逃れられるのだろうか。それは不可能な、あるいは人によっては不必要な問いなのかもしれない。そろそろ没後50年を迎えようという今日、柳宗悦と民芸という分かち難い関係に変化は訪れるのだろうか。その問いが心のどこかで燻っている。

追記
プレイミュージアムでは「紙帯で作るイタヤ馬」というイベントが行われていました。イタヤ馬とは、秋田近辺で作られていた子供の「おもちゃ」。けっこう人気があるようでした。
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