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日本彫刻の近代

日本彫刻の近代
明治期から1960年代まで−日本彫刻100年の歩み
2007年8月7日〜9月17日
宮城県美術館

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彫刻の魅力、再発見。

 普段あまり意識されることはないけれども、駅や公園など、彫刻は私たちの身の回りに確かに存在する。この展覧会を観た者は、それまで「地」として通り過ぎていた彫刻を「図」として意識し始め、ふと足を止めることだろう。

 本展では、日本が近代国家の看板を掲げた明治期から1960年代までの彫刻作品が時代に沿って展示されている。つまり、日本彫刻の近代史(あるいは彫刻史そのもの)を展示室の中に再現してみせるという試みだ。佐藤忠良記念館を有する宮城県美術館において、それが行われるということも本展の意義を深めている。

 展示室の順路が普段とは逆に設けられていた。入り口すぐのところに旭玉山という人物が作った<人体骨格>なる模型が展示されている。小さな骸骨が椅子に座っているのだが、実に精巧でなんともユーモラスな姿だ。明治にこんな面白い物があったのかと驚いた。材質は鹿の角である。今回の展覧会はキャプションに素材の表記がなかったが、出品リストから素材を調べることはできる。ただ、作者は彫刻作品としてこれを作ったのだろうか。学校の理科準備室に置かれているものとは何が違うのだろう。これを彫刻と呼べるのか。少しわからなくなる。

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彫刻というジャンルほど「日本」と「人間」という意識と格闘してきたものはなかったのではないか。展示を観るとそう思える。この2つがとにかく意識されてきたようである。それは「彫刻」が他所からもたらされた全く新しい概念だったからだろう。なるほど仏像や偉人の像は作られてきた。ただし、それは宗教的な像であって美術ではなかった。そこに西洋から「美術」という概念を構成する一つの領域として「彫刻」がもたらされる。大きな揺らぎがあったはずだ。

「日本」と「人間」、この2つが共に意識されている理由は明確だ。これらは西洋に対する二種類の反応である。西洋という「他者」の存在が大きくなってくると、日本という「自分」が意識される。そこに「日本」とは何か、という問いが生じる。ある時は国家がそれに対する解答を誘導し、ある者は伝統的な木彫りの技に取り組むことで「日本」を見つめてきた。

その一方で、そのとき西洋の根幹にあったヒューマニズムを理解するために「人間とは何か」を突き詰める。こちらはロダンに倣った、ロダニストの表現にみることができよう。彼らの表現は思想への共鳴でもある。他者を理解しようとする心の動きと、翻って自己を眼差す心の動き。どちらも私たちが初対面の人と向き合ったときに起こる素直な反応である。

展示室に展開された彫刻史を眺めていくと、戦争の影響を重く受け止めざるを得ない。直前の大正期の表現はキュビズムの影響もあり非常に豊かである。仮に日本が戦争へと向かわなかったら、どんな面白い表現が出てきたのだろうか。そう予感させるに十分な内容であった。戦争は表現をがらりと変えてしまった。展示の最後を構成する抽象彫刻もまた同様に、彫刻史の一部として眺めたときに初めて気づくことがある。表現としての面白さのみならず、作家たちがなぜそういう方向へと向かっていったのか、それを少しだけ理解できたように思う。

駅前でいつも見かける彫刻を、次からはきっと少し違う目でみるだろう。そう思えるだけの豊かな時間を過ごすことができた。

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この展覧会に併せて、宮城県美術館は「身近な彫刻を探そう!彫刻探検隊」というワークショップを行っている。計4回の開催で、最後には「彫刻判定会」なるものも開かれる。前述のように、この展覧会を観た者は彫刻に意識的になるはずであるが、プログラムを通じて意図的にそうした気持ちを生じさせようということだろう。パンフレットの写真にもあるように、街に彫刻は溢れている。

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