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慈覚大師円仁とその名宝

慈覚大師円仁とその名宝
比叡山修学1200年記念 特別展
2007年6月16日〜7月29日
東北歴史博物館
R0013603

円仁というよりは天台宗の名宝?

 本展は、東北にも縁の深い慈覚大師円仁の名を冠した展覧会だ。慈覚大師は立石寺や恐山とも関係が深いので、東北の人間には知名度が高い存在だろう。会場である東北歴史博物館は、仙台から電車で15分ほどの位置。博物館が駅を降りてすぐ目の前にあるので便利だ。ただし、大学生が学生割引の対象外なのは改善してほしい。

ホールには円仁の足跡を辿る10分ほどの映像が設置されており、展覧会への期待が高まる。入ってすぐの位置に、展覧会の構成を示すパネルがあった。それによると、3章構成のうち、円仁の生涯が第1章で終わってしまう。後は「円仁がひろめた教え」や「円仁敬慕」など、要するに「円仁とは直接関係ないけど、円仁ゆかりの寺の品々を集めました」という感じになっている。なるほど東北にも「慈覚大師開基」といわれる寺は多い。そこから品々を集めてきて展覧会を開催することは可能だろう。しかし、展覧会の名前が『慈覚大師円仁とその名宝』とあるため、ちょっと肩すかしを食らったような印象だ。

今回、展覧会を通じて一番気になったのは、キャプション(解説文)の言葉だ。「〜は検討すべきだろう」や「〜は多面的な検討を必要とする」など、「検討」すべきことがやたらと多い。キャプションは誰のために置かれるのかを考えた場合、こういう言葉を多用する必要があるだろうか。正しいことを伝えたいという思いの表れかも知れないが、私には来館者ではなく他の専門家に向けて書いているように思えた。またキャプション一つあたりの文字数も多かった。

展示に関していえば、史料がパネル印刷になっているものも10点弱あった。本物を展示してほしいと思う反面、パネルだと直接マーキングできるので、読んでもらいたい部分をはっきりと示せるのは便利でもある。上手く使いたいところだ。

また、日本最古の円仁画像とされる絵の複製品があった。複製品の様子から判断するに保存上公開に耐えられないのかもしれないが、「原品国宝」という表記はなんとも残念な響きである。そこでふと思った。この場合、模写と原品のパネル写真とどちらが来館者にとって魅力的な媒体なのだろう?どちらも「写し」には違いないが、複製品は一枚の絵としてそこにあるが、どうしても違うものという意識が残る。それに対して、写真は本物を正確に写したものだが、パネルという味気なさがある。素朴な疑問として心に残る。

さて中盤に「魔多羅神」という変わった神様の図像があった。大黒天やダキニ天と同一視されることもあるそうだが、よくわかっていないらしい。音だけ聞けば、「マトゥラー」のようにも聞こえるので、ヤクシャとの関係を想像するのも面白い。大黒天もダキニ天もインド起源の神格でもあるわけだし。ちなみにインド・マトゥラーはデリーの近くで、ガンダーラとともに早くから仏像が制作されてきた場所である。

展覧会全体としては、円仁その人に過度な期待をすると当てが外れる内容であった。したがって、興味深い品がいくつか出展されていても、私としては不満の残る展覧会となってしまった。

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