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2007年7月

みどりのライオン 

東京国立博物館表慶館
みどりのライオン
みんなの教育普及スペース
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みどりのライオン!

 昨年改修工事を終えた表慶館が、今春、教育普及スペースとしてリニューアルオープンされた。表慶館は、1909年に当時の皇太子成婚を記念して建てられたもので、片山東熊の設計。明治の洋風建築を今に伝える重要文化財である。

「みどりのライオン」という名前は、表にある2つのライオン像に由来する。よくみると、この2頭のライオンは表情が異なり、山門の仁王像と同様、阿吽の相をとっている。表の二頭は威厳たっぷりの表情だが、デザインされたマスコットはかわいらしくも頼もしい印象。
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玄関を入って左のウイングはワークショップやレクチャーのために使われる。事前申し込みが必要なプログラムが多いので、気軽に立ち寄る感じではなさそうだ。それに対し、右側のウイングは来館者がふらっと立ち寄ることができる場所になっている。「出会いの間」と「体験の間」だ。
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「出会いの間」

東京国立博物館は、本館、表慶館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館からなっており、それぞれ使われ方に特徴がある。表慶館の「出会いの間」では、主にパネルによってそれらの施設の説明をしている。見せ方にも工夫があって、楽しみながら博物館の歴史と概要を理解できる。筆者が訪れたときは、普段は見ることができない本館の内部の映像も流されていた。ただし、この「出会いの間」、自分にとってはやや散漫な印象である。なぜだろう。部屋の奥のほうにある積み重ねられたボックスが雑然としていたからだろうか。

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「体験の間」

「出会いの間」を奥に進むと、「体験の間」となる。ここでは、常設展の展示に合わせた教育プログラムを体験できる。ボランティアが親切に対応してくれるので、子どもも大人も楽しめるだろう。このほか、入り口正面を進んだところに「探求の間」があり、子供の向けの関連書籍の閲覧ができる。

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 全体として、建物の特徴が活かされ、よく整理された空間が作られていたと思う。しかし、表慶館が重厚な作りであることも手伝ってか、イベントが行われていない時に表慶館を訪れると、受ける印象は少し寂しい。一般の人が気軽に入って楽しむためにはもう一工夫必要なのかもしれない。

建物の外にこれといったイベントの告知パネルがないので、今中でどんな活動が行われているのか、ということがまずわかりにくい。「入ってみよう」という気になる人は少ないかもしれない。また教育普及スペースと銘打たれているので、表慶館という建物自体を楽しみにくくなった。順路を設けて建物自体の見学コースが整備されると、とくに教育普及事業に興味のない人も気軽に立ち寄ってくれるのではないだろうか。それによって教育普及事業の露出効果も高まるものと思う。

なにはともあれ、日本を代表するミュージアムである東京国立博物館に常設の教育普及スペースが誕生したことをまず高く評価したい。今後の活動に注目していこう。

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青葉縁日2

青葉縁日2
おもしろ改造工場の夏祭り
2007年7月22日〜8月27日
仙台メディアテーク
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縁日という言葉を聞いて、人は何を思うだろう。夏の夜を彩る花火、友達や家族との楽しい思い出、恋人との幸せな、あるいはせつない時間だろうか。縁日には、人をわくわくさせる力がある。そんな魅力的な言葉を与えられたのが、このアート・フェスティバルである。

「こどもから大人まで体験しながらアートを楽しむ」のが眼目であるが、そこには縁日という甘美な言葉では捉えきれない、しっかりとしたテーマがある。二年目を迎える今年のテーマは、「ベンディング」。さて、「ベンディング」とは何か。

電気製品の電子回路を改造して新しい機能を与える行為をサーキット・ベンディングという。つまり、今あるものに手を加え、新しい価値や機能を作り出すことだ。青葉縁日2は、その意味を拡大し、広く日常にあふれるモノや情報を「ベンディング」していこうという趣旨で行われている。

このテーマを最も体現していたのが、エキソニモのインスタレーション<Object B vs>である。
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彼らは既成のシューティングゲームを「ベンディング」した。既存のPCパーツや雑貨を怪しげに組み合わせた「機械」の動かすキャラクターとプレイヤー(来館者)が対戦する、という形式を取る本作品には、しっかりとした世界観がみえる。また参加可能な体験型プログラムなのでアート・フェスティバルとも相性がいい。作家の力量が光っていた。

その一方で、縁日らしさを盛り上げているのがタノタイガの作品。縁日に付きもののお面に落書きをするという趣向で、イベントが進むごとに景観の変化も期待できる。デスマスクが並んでいるようでわりと気持ち悪いが、祭り気分を盛り上げる配慮があるプログラムだろうか。
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ずらりと並んだお面。他に縁日風のレイアウトもある。

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閑話休題04

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閑話休題04

小菅正夫『<旭山動物園>革命―夢を実現した復活プロジェクト』
角川oneテーマ21, 角川書店,2006年.

 旭山動物園に行く。それは相当に大変なことだ。なんといっても遠いし、それなりの予算もいる。しかし、多くの人が実際に足を運ぶ場所。本書はそんな注目度の高いミュージアムの園長が、不振の時期から成功までの道のりを記したものだ。

「見せ方を工夫する」
見せ方を工夫するとは、動物が能力を発揮できる環境を与えるということ。これはすなわち展示デザインの整備である。なるほどどんな展示にすれば作品の良さを一番引き出せるかは美術館の職員も特に気を配るところ。ただ、生きている動物たちにとっては、自分たちの特徴を発揮できる展示環境が彼らのストレスも軽減し、彼らの「保存」にも一役買っているあたりは動物園ならでは。

「失敗を隠さない」
旭山動物園がここ数年のブレイクを迎える以前、同園でのエキノコックス症発生がメディアに取り上げられたことを記憶している人もいるだろう。エキノコックス症は届け出が必要な法定感染症ではないらしく、公開するかどうか判断に迷ったそうだが、失敗を隠さないという姿勢から公開に踏み切ったという。当たり前の判断だが、どこかの原発の事後対応を見ても、組織ではなかなか難しくなるようだ。

「動物園の役割」
動物園は英語表記でzoological garden、略してzooとなる。つまり動物学の園であって学術施設といえる。旭山動物園ではこれに Wildlife Conservation Centre(野生生物保護センター)が英語名に加わり、絶滅の危険のある動物たちの繁殖を助け、野生に返す活動も進めているとのこと。著者曰く「動物のための動物園」を目指しているのだそう。

旭山動物園といえば、とかく画期的な展示方法に注目が集まりがちだが、本書はそれ以外の、より正確に言えば、その展示が生まれてくるための動物園の在り方を示している。帯書きにあるように「ビジネスモデルの原点」として読むのもいいが、動物園とはどういう場所なのか、それを改めて考えるのにも役に立つ一冊だ。

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世界報道写真展2007

世界報道写真展2007
2007年6月16日〜8月5日
東京都写真美術館
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報道写真を撮る、という行為。

本展は、オランダの世界報道写真財団が主催する「世界報道写真コンテスト」の入賞作品で構成されている。

「イラクで米兵が殺されたとき、掲載しないように訴えてくるのが記事ではなく写真なのはなぜでしょう?」そんな問いかけとともに展覧会は始まる。たしかに写真の力はとてつもなく強大で、切り取った“一瞬”のうちに物語を閉じ込めることができる。

会場入り口付近にパソコンが一台置かれており、グーグル・アースを利用できるようになっていた。来館者は展示されている写真が撮られた場所を、グーグル・アースを使って見つけるのだ。また写真が撮られた場所をランダムに自動表示するプログラムも組まれていて、それがチケッティングカウンターの動く背景となっている。面白い趣向だし、視覚的に人を惹き付ける。

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展示されている写真の中には思わず目を覆いたくなる光景もある。暴力の現場、その結果である人の死。報道写真には付きものの被写体。しかし、あまりにも過激だ。それを直視すべきなのか、あるいはそこから目を背けることが正しいのか。写真を前に人として自問自答する。一つ確かなことは、自分が今、報道写真を撮るという行為それ自体がもっている暴力性とも対峙しているということだ。

もちろん一口に報道写真と言っても、日常生活や自然の部門もある。ブレイクダンスの一瞬を切り取って、人がまるで宙に浮いているかのように見える写真もあれば、川辺に一匹だけ、こちらを注視するサーバルキャットがまるで合成のように写っている一枚もある。現実に起こっている出来事のはずなのに非現実的な光景を見せつける、こうした写真は表現としての面白さも手伝って観ていて飽きることがない。

映像作品もあった。とてつもなく人の心を打つ作品が一本だけ。それは空爆によって破壊されていくレバノンの街の様子と被災者へのインタビューをメインに写したものだった。

写真の力。世界報道写真展は改めて私にそれを教えてくれた。もっともその力が強すぎるときもあったが。

補遺
たまたま一日のうちに20世紀半ばの報道写真(ブレッソンの写真)と今日の報道写真を見比べることとなった。世界が過激になったのか、それとも表現が過激になったのか? 2つの展覧会を観て想う。

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アンリ・カルティエ=ブレッソン展

アンリ・カルティエ=ブレッソン
知られざる全貌
2007年6月19日〜8月12日
東京国立近代美術館

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モノクロの世界の豊かな表情。

ブレッソンの写真はレンブラントの絵画を思わせる。そう、前後の物語を連想するに最も適した瞬間が切り取られているのだ。観る者が物語をイメージできる構図。「決定的瞬間」とは、きっとそういうことなのだろう。

本展はアンリ・カルティエ=ブレッソンの大回顧展である。ビンテージ・プリントを多数含む写真の他、彼の個人的なアルバムや晩年のスケッチまでを網羅する。約450点に及ぶ作品数は、まさに全貌と呼ぶに相応しい。

入ってすぐの位置に、「決定的瞬間」という言葉を広く世間に印象づけた写真<サン=ラザール駅裏>が展示されている。「クラシック」と題された傑作選だ。有名作品が目白押しのこの導入は一瞬にして来館者の心を掴む。後ほど登場するビンテージ・プリントとの比較を楽しむのもよい。

展示室は主として白壁に黒い額縁。ブレッソンのモノクロの世界に良く合うように、落ち着いた色が与えられている。なによりこの展覧会、空間構成が絶妙だ。独立運動期のインドと国共内戦時の中国、冷戦時のアメリカとソ連というように対比的な空間を演出している。それによって時代の証人となったブレッソンの仕事を効果的に紹介することが可能になっている。可動式の展示壁をもつ美術館ならではの見せ方だろう。

ガンディーの死、国民党軍の敗走など重大な歴史の転換点に居合わせたブレッソンだが、彼の写真の魅力はそれだけではない。そうした大掛かりな舞台装置を必要とするまでもなく、彼の目は日常に潜む絶妙の表情を切り出している。ブレッソンのそうした写真は、必ずどこかユーモラスだ。ベルリンの壁を眺める三人の男たちを後ろから写した<ベルリンの壁建設の後>はその好例。

写真だけでもかなりの分量なのだが、最後の最後に映像スペースが設けられていて、その時間も一時間近くあるのだ。内容が充実しているのは嬉しいが、これでは時間がいくらあっても足りない。また、フロアガイドや導入部のパネルではガンジー、それ以外ではガンディーという表記の揺れも若干気になった。ガンディーに統一すべきだろう。

じっくりと回ったのでさすがに疲れたが、「いつか自分にもこんな写真が撮れたら」、そう思えた。大変充実した展覧会だった。

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慈覚大師円仁とその名宝

慈覚大師円仁とその名宝
比叡山修学1200年記念 特別展
2007年6月16日〜7月29日
東北歴史博物館
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円仁というよりは天台宗の名宝?

 本展は、東北にも縁の深い慈覚大師円仁の名を冠した展覧会だ。慈覚大師は立石寺や恐山とも関係が深いので、東北の人間には知名度が高い存在だろう。会場である東北歴史博物館は、仙台から電車で15分ほどの位置。博物館が駅を降りてすぐ目の前にあるので便利だ。ただし、大学生が学生割引の対象外なのは改善してほしい。

ホールには円仁の足跡を辿る10分ほどの映像が設置されており、展覧会への期待が高まる。入ってすぐの位置に、展覧会の構成を示すパネルがあった。それによると、3章構成のうち、円仁の生涯が第1章で終わってしまう。後は「円仁がひろめた教え」や「円仁敬慕」など、要するに「円仁とは直接関係ないけど、円仁ゆかりの寺の品々を集めました」という感じになっている。なるほど東北にも「慈覚大師開基」といわれる寺は多い。そこから品々を集めてきて展覧会を開催することは可能だろう。しかし、展覧会の名前が『慈覚大師円仁とその名宝』とあるため、ちょっと肩すかしを食らったような印象だ。

今回、展覧会を通じて一番気になったのは、キャプション(解説文)の言葉だ。「〜は検討すべきだろう」や「〜は多面的な検討を必要とする」など、「検討」すべきことがやたらと多い。キャプションは誰のために置かれるのかを考えた場合、こういう言葉を多用する必要があるだろうか。正しいことを伝えたいという思いの表れかも知れないが、私には来館者ではなく他の専門家に向けて書いているように思えた。またキャプション一つあたりの文字数も多かった。

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閑話休題03

閑話休題03

映画『NARA: 奈良美智との旅の記録』
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 正直なところ、僕は奈良美智の描く絵にあまり興味がなかった。奈良の描く絵が嫌いというよりは、ロックをかけて煙草をフカしながら、あまりきれいではない部屋でひとり制作をする、という奈良本人の行動に抵抗があったからだ。

2006年夏、青森県弘前市で行われた展覧会に相当な数のボランティアが集まったのは記憶に新しい。この映画は、その話題の展覧会『A to Z』が同地に至るまでの奈良の行動を追ったドキュメンタリーだ。

ナレーターは宮崎あおいでなくてもよかったと思うが、映画の撮り方と構成は見事だった。「奈良美智」という個性が充分に引き出されている。調べてみると、監督の坂部康二は、ドキュメンタリーを中心にテレビ番組のディレクターとして活躍している人物のようだ。『情熱大陸』にも関わっていると聞くとその手腕にも合点がいく。

奈良は言う。「ひとと関わることが多くなってきて、むかし描けなかったものが描けるようになってきているのは確か。でも、むかし描けたものが描けなくなっていることも確か。それが、いいことかどうかはわからないけれど、同じものを描き続けているより変わっていったほうがいい。」

映画が進むにつれて、徐々に奈良の悩みや戸惑いが伝わってくる。その悩みに共感する自分。作品をあからさまに賞賛するでもなく、カメラは静かに、そしてどこまでも奈良の素顔を追い続ける。

映画が終わる頃、奈良に対する僕の見方は変わっていた。人としての共感。僕は奈良を少し好きになったが、彼の絵を好きになるのはきっとまだ先のこと。

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