« アンリ・カルティエ=ブレッソン展 | トップページ | 閑話休題04 »

世界報道写真展2007

世界報道写真展2007
2007年6月16日〜8月5日
東京都写真美術館
Img001

報道写真を撮る、という行為。

本展は、オランダの世界報道写真財団が主催する「世界報道写真コンテスト」の入賞作品で構成されている。

「イラクで米兵が殺されたとき、掲載しないように訴えてくるのが記事ではなく写真なのはなぜでしょう?」そんな問いかけとともに展覧会は始まる。たしかに写真の力はとてつもなく強大で、切り取った“一瞬”のうちに物語を閉じ込めることができる。

会場入り口付近にパソコンが一台置かれており、グーグル・アースを利用できるようになっていた。来館者は展示されている写真が撮られた場所を、グーグル・アースを使って見つけるのだ。また写真が撮られた場所をランダムに自動表示するプログラムも組まれていて、それがチケッティングカウンターの動く背景となっている。面白い趣向だし、視覚的に人を惹き付ける。

Img002

展示されている写真の中には思わず目を覆いたくなる光景もある。暴力の現場、その結果である人の死。報道写真には付きものの被写体。しかし、あまりにも過激だ。それを直視すべきなのか、あるいはそこから目を背けることが正しいのか。写真を前に人として自問自答する。一つ確かなことは、自分が今、報道写真を撮るという行為それ自体がもっている暴力性とも対峙しているということだ。

もちろん一口に報道写真と言っても、日常生活や自然の部門もある。ブレイクダンスの一瞬を切り取って、人がまるで宙に浮いているかのように見える写真もあれば、川辺に一匹だけ、こちらを注視するサーバルキャットがまるで合成のように写っている一枚もある。現実に起こっている出来事のはずなのに非現実的な光景を見せつける、こうした写真は表現としての面白さも手伝って観ていて飽きることがない。

映像作品もあった。とてつもなく人の心を打つ作品が一本だけ。それは空爆によって破壊されていくレバノンの街の様子と被災者へのインタビューをメインに写したものだった。

写真の力。世界報道写真展は改めて私にそれを教えてくれた。もっともその力が強すぎるときもあったが。

補遺
たまたま一日のうちに20世紀半ばの報道写真(ブレッソンの写真)と今日の報道写真を見比べることとなった。世界が過激になったのか、それとも表現が過激になったのか? 2つの展覧会を観て想う。

|

« アンリ・カルティエ=ブレッソン展 | トップページ | 閑話休題04 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/408077/7173761

この記事へのトラックバック一覧です: 世界報道写真展2007:

« アンリ・カルティエ=ブレッソン展 | トップページ | 閑話休題04 »