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マルレーネ・デュマス―ブロークン・ホワイト

マルレーネ・デュマス―ブロークン・ホワイト
2007年4月14日〜7月1日
東京都現代美術館
R0013452

「わかりやすいが、わからない絵」。矛盾した表現だがデュマスの絵に対する素直な感想だ。絵自体は顔のアップなどシンプルな構図が多く、特に注視するほどの情報量が画面にはない。ただ、さらりと流し見ながら美術館という空間を楽しみたい人には少しばかり主題が重く感じられる。デュマスの絵には観る者に何かしらを考えさせる空気がある。

はっきりいって、この展覧会は玄人好みだ。果たしてどれほどの人がデュマスという存在を知っているというのか。仮にある人がどこかの美術館で時間を過ごさなければならないとすれば、普段からそれなりに現代美術の動向に気をまわしている人を除いて、一般的にはモネやダ・ヴィンチのほうに軍配が上がるだろう。かくいう私も、この展覧会までその存在を知らなかった。調べてみると、デュマスは現在世界的に注目されている画家の一人らしい。国家として複雑な事情を抱えてきた南アフリカ共和国に生まれ、現在オランダで制作を続けているようだ。確かに現代美術館の一つの使命として「今」を生きる作家を取り上げ、回顧展を企画するのは必要なことだ。しかし“人気”という点では常設展で展示されている岡本太郎の<明日の神話>のほうが勝っていることも人の流れを見れば明らかだ。意義と人気、美術館にとってはどちらも大切な要素であり、苦悩はつきないことだろう。

さて、マルレーネ・デュマスの展覧会を観る者が、心地よい時間を味わえる保証はない。それはデュマスの絵が普段は目を背けていたいもの、あるいは隠しておきたいものを的確な描写力によって目の前に示してしまうからに違いない。その意味でデュマスの絵と向き合うことはある種の疲労を伴うといえる。閉館間際、駆け足で絵を見たことは幸運であったかもしれない。好みでいえば好きな絵ではないが、見ておいてよかったとも思う。展覧会でみる限り、「顔」だけを描いた絵画が目立って多かった。その「顔」たちはグロテスクにみえるときすらある。自然と性や死といったキーワードが脳裏をよぎる。

「いま私たちの怒りや悲しみ、死や愛といった感情をリアルに表現するのは写真や映画になってしまった。かつては絵画が担っていたそのテーマをもういちど絵画の中に取り戻したい」

こう発言するデュマスにとって、顔はおそらく対象の特徴を捉えるのに具合がよかったのだろう。描かれた「顔」は、およそリアルとはほど遠い独特の色使いで表現されている。なるほど対象は程よくデフォルメされることで写真以上にその存在をリアルに際立たせられているともいえる。存在のもつ雰囲気をリアルに捉えていると言い換えてもよい。そしてデュマスの絵はどこか暗い。色彩以上に絵がもっている雰囲気が暗いのである。一緒に展覧会を見ていた友人の作家は、モノトーンに統一された胸像群に「遺影」の面影をみたという。

会場自体は空間が贅沢に使われていて、絵と絵の間隔もかなり確保されている。250点近くの展示物があるはずだが、その量を感じさせることはない。途中、デュマスの制作風景などを映したドュメンタリー映画が上映されていた。興味があったが、残念ながら上映時間60分の映像を見る時間は、私たちに許されていなかった。

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